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お菓子の聖地・伊万里

今春の献菓祭にむけて

菓祖・中嶋神社 佐賀県分社 陶磁器産業で有名な佐賀県伊万里市。そうしたイメージの一方で、伊万里は時折「お菓子の聖地」と称されることがあります。なぜそうよばれるのか?その理由について皆さんにお伝えしようと思います。

 古事記や日本書紀によると、垂仁天皇の勅命により田道間守(たじまもり)が十年かけて常世国(とこよのくに・中国の江南地方)から持ち帰った不老長寿の橘の実がお菓子のルーツとされています。田道間守は常世国からの帰途、日本で最初に伊万里の港に入り、伊万里川河畔の岩栗山に橘の木を植えたとの史実があり、この史実に従えば伊万里は日本最初の香菓の渡来地ということになります。伊万里がこうした由緒深い地であったことから、昭和三〇年、岩栗山に鎮座する香橘神社(現在の伊萬里神社)境内に中嶋神社佐賀県分社が建立され、県内外菓子事業者から多くの崇敬を集めています。

〝日本のロダン〟といわれた朝倉文夫作「森永太一郎像」 田道間守の渡来から千数百年以上時代がくだり、明治維新で日本社会が西欧化へと進むころ、日本の菓子産業に一大革命をもたらす人物が現れます。その名は森永太一郎。日本初の西洋菓子総合メーカーを設立した人物です。伊万里の裕福な陶器商の子供として誕生するも家業が破産、父が早世し母とも生き別れるなど不遇な少年時代を過ごしますが、持ち前の誠実さと精神力で艱難辛苦を乗り越えます。足掛け十一年間の米国修行で菓子製造技術を習得し、帰国後の明治三二年(一八九九年)、東京・赤坂溜池に「森永西洋菓子製造所」(現在の森永製菓)を立ち上げます。その後、ミルクキャラメルなどのヒット商品や斬新な広告で業界をけん引し、日本の菓子産業発展に大きく貢献しました。その功績を顕彰するため、中嶋神社建立から二年後の昭和三二年、没後二十年を記念して、彫刻家・朝倉文夫による森永太一郎像が岩栗山の頂上に建立されました。

 これで伊万里がお菓子の聖地とよばれる理由がお分かりいただけたかと思います。田道間守と森永太一郎、時代は異なりますが、菓子が長らく日本文化の一つとして親しまれ、また、異国の技術を取り入れながら進化・発展を遂げる「礎」を築きました。こうした先人たちの偉業に、私たち佐賀県菓子工業組合は強い畏敬の念を抱かずにはいられません。その意を表すため、今年の四月一九日、中嶋神社にて組合員有志による献菓祭を計画しています。

 シュガーロードの中間点に位置し、丸ぼうろや小城羊羹など多彩な菓子文化を育んできた佐賀。その伝統を守りながら新たな時代にふさわしい菓子づくりに精進する、献菓祭がその決意を新たにする契機になればと思っています。

 佐賀県菓子工業組合伊万里支部・前田英宣

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