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東日本大震災より福島県の復興状況

第5回全菓連青年部交流会から

福島の気候

小名浜の魚市場 福島県は大きく3つに分けられる。浜通りは、太平洋に面している地域になる。中通りは県庁所在地になる。会津は白虎隊や八重の桜で有名である。この3つの地域は気候が全く違う。いわきは浜通りにあり、3つの地域の中では一番過ごしやすい。サンシャインいわきと言われているように、日照時間が長い。雪も少ない所で、降っても暖かくすぐ溶けるので消雪道路がない。夏は涼しく25℃を超すことは少ないが、最近はエアコンをつける日もある。海沿いは、夜中に布団を掛けるくらい涼しい所である。会津地方は、冬は雪国である。いわきで雪が降ると、バイパスで走行不能になった車が続出するくらいで、スタッドレスタイヤを履かないでいられる地域である。常磐自動車道は、震災の影響で仙台まで延長する工事が止められていたが、現在、宮城方面からと福島方面から工事が再開されている。開通すれば仙台まで2時間程度になる。

 いわき市の中心の平は、かつては5万石の城下町である。津波の被害はない。人口は33万人で、一時期は36万人を超えていた。地震によりいわき市役所は、しばらく機能しなかった。やらなくてはいけないことが多数あり、復興の順番を決めるのが大変だった。

久之浜

 いわき市は、60㎞にわたる弓状の海岸線をもち、久之浜は一番北にある。昔から漁業の町として活気があったが、津波で壊滅的被害を受けた。大久川沿いの民家なども津波の逆流で被害を受けた。復興するまで、何年かかるか分からないが、津波避難対策の建物建築などの計画がある。久之浜から原発まで車では数十分で行ける。30㎞圏外に久之浜はある。山の方に行くと、大久町があり、そこで首長竜の化石が発見された。アンモナイトセンターには、様々な化石が展示され、時期によって化石発掘体験もできる。また、久世原では、ステゴロフォドン(イワキゾウ)という象の化石が発見された。

キノコ、トマト

 キノコ類はいわきを代表する名物で、特にマツタケの宝庫であったが、現在は放射能の影響により食べることはできない。エリンギの食感と似ているので、細かく切って炊き込みご飯を作る際、味付けにマツタケのお吸い物を使うと松茸ごはんもどきになる。現在は、いわきトマトの栽培に力を入れており、トマトランドという栽培施設がある。

浜風商店街

 浜風商店街は、地域の人たちは商店街が無いと不便なので、久之浜第一小学校の敷地内に仮設の商店街を作った。今年で3年目になる。訪問した時、小学校では授業中だった。商店街には、食堂・駄菓子屋・電気屋・理容室などがある。海岸近くはかつて家屋が密集してしたが、津波の影響で基礎だけが残っている所が多い。

秋義神社

 秋義神社は地元のお稲荷さんで、鳥居は倒されたが建物は残っており、作り直して復興のシンボルとして残すことになった。波立海岸には、鰐ガ淵という岩があり、かかっていた橋の手すりは津波により被害を受けたが、岩の上にある鳥居と海岸線沿いにある波立薬師は無事だった。

新舞子浜

 新舞子浜は、日本百景に選ばれ脚光を浴びた。平の高台にお城があった時代に、藩主内藤公が防潮防風林として植林したのが今日まで続いている。道山林とも呼ばれる。平成7年に人工海水浴場として、新舞子ビーチが設けられた。景色が良いので、いわきを代表する海水浴場のメッカとして有名であった。また、松が紅葉するのは、枯れているからである。3年前の津波で波をかぶった塩害の影響で、次から次へ枯れている。現在は新しい若木を植林しており、何十年か先には元の防潮防風林になるだろう。舞子浜病院は、目の前が海で景色のよい人気の病院である。津波が来た時、職員の方々が動けない人たちをシーツにくるみ2階3階へ避難させたので、患者さんの犠牲者はいなかった。その後、道路が寸断され電話も不通で、食事の用意もできない状態が何日も続いた。入院患者を各地方の大きい病院へ転院させた。職員の方々は大変な苦労をした。被災半年後に、病院は修復され機能を元に戻す努力をした。シャトルバスが運行していたが、平から舞子浜へ3時に出発したが、津波が来たので手前で引き返し難を逃れた。病院の送迎バスなど車両は津波で被害を受けた。

塩屋埼灯台

 塩屋埼灯台は、美空ひばりの代表作"みだれ髪"で有名である。灯台守の仕事がテーマの"喜びも悲しみも幾歳月"という映画は、塩屋埼灯台長夫人の日記が元になっている。灯台からは、景勝地を一望できるいわきを代表する観光名所となっている。薄磯地区も8・5mの津波で、120名を超える方が犠牲になった。まだまだ復興が進んでいない。豊間中学校の1階にあったピアノが津波の被害を受けたが、地元の調律師が修復し復興ピアノ、奇跡のピアノと呼ばれた。中学校は建物が残ったが、周囲の民家は流された。中之作は港町になるが、かつて常磐炭田から掘り出された石炭を、ここから江戸へ積み出された。炭鉱の最盛期はにぎやかな漁港だったと言われている。永崎海岸は、遠浅の海水浴場として知られている。ここも津波の被害があった。最近は新しい家が増えている。防潮堤、防波堤が高く作られているが、以前は海岸線がきれいに見えていた。サーフィンのメッカとしても知られている。いわき海星高校も被害を受け学校の機能が止まったので、近くにある小名浜高校の校舎を借りて授業を再開した。

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