各地の菓子店探訪
福岡県菓子店の投稿

博多弁から生まれたチロリアン

チロリアン

 今から64年前の1962年、当時福岡市中央区天神にあった千鳥屋本店でチロリアンは誕生しました。1949年に筑豊の飯塚から天神に拠点を移した千鳥屋は、実は佐賀の久保田村が発祥の菓子屋です。

 飯塚時代から「三品主義」といって、佐賀の郷土菓子の丸ボーロ、オリジナルの菓子である千鳥饅頭、そしてカステラのみを販売し順調に売り上げを伸ばしていましたが、同業他社の新商品群に押されじわじわと売り上げが下がっていく当時の現状に、社長だった原田つゆが「何とかせんばならん!」と右腕だった長男の良康と話し合ったそうです。

 欲しかったお菓子の条件は、かっぱえびせんのように日持ちのする、当時流行り出した洋風のお菓子。この2つの条件をクリアするお菓子の開発時期に、ちょうど私の父で次男の光博が、北海道のトラピスト修道院で発酵バターの修業をした後に、神戸のユーハイムにて洋菓子を作っていました。光博から「こちらではロール状のクッキーが流行ってきているよ」と、また本人もその頃はロールケーキを作っていたので、発酵バターでロールクッキーを焼いて中にクリームを入れてはどうかという提案があり、ロールクッキーを細長く焼いてクリームを詰めてみたところ、香りがよくサクサクのお菓子に仕上がったそうです。

チロリアン丸缶

 さて、商品は完成したけどネーミングはどうする?

 つゆと良康が悩んだ結果、良康が博多の人は「千鳥屋」を博多弁で「ちろりや」「ちろりや」と呼んでるよね、そう!博多の名店、角のうどんを「かろのうろん」と呼ぶように。そこで思いついたのが、ちろりに饅頭のあんをつなげてちろりあん「チロリアン」。これがチロリアンというネーミングが生まれた嘘みたいな本当の話です。母つゆと二人の息子が知恵を出し合って生まれたお菓子なのです。もし、千鳥屋が福岡市に進出しなければチロリアンの誕生は無かったでしょうし、チロリアンというネーミングでなかったら現在のように発売から64年経った今でも売れ続けているお菓子には成長しなかったでしょう。

 このチロリアンが後に、オーストリア・チロル州と千鳥屋のご縁をつないでくれたお菓子になるとは、当時はまだ誰も知る由もなく。この先の物語はまた次号にて。

 福岡県菓子工業組合理事・原田浩司(千鳥饅頭総本舗)