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端午の節句の鯉生菓子

子供の健やかな成長と食文化の継承

鯉生菓子

 五月は、端午の節句。鯉のぼりが風になびいて、気持ち良さそうに空を泳いでいる姿を思い浮かべます。ここ長崎でも同じような風景をあちこちで見かけます。春、新緑が眩しい木々に色鮮やかな鯉のぼりが映え、男児の健やかな成長を祈念するには絶好の季節と言えるでしょう。長崎では、この節句に合わせて鯉を模した「鯉生菓子」を県内全域の和菓子店で製造販売しています。練切や餅生地で餡を包んで鯉の型にて模り、色を付けて艶を出して作り上げます。大きさも小さいものから、尺を超えるものまであります。歴史も古く西暦1800年代前半には、既に製造されていたようです。

 中国の故事にある「登竜門」には、鯉が急流を上り、滝を登ると龍となり天へ昇ったという伝説があり、このことから男児が立派に成長し、社会に出て出世することを願う意味を込めて鯉の形のお菓子が作られるようになりました。

 中国との交流が古くから盛んだった長崎では、こうした文化の影響により独自の形でお菓子に反映されてきたとも言えるでしょう。

 長崎には「お返し文化」が根付いています。昔からお祝いをいただいた際、その金額に応じてお返しの規模を決める習慣があったため、鯉生菓子も小さいものから特大サイズのものまでバリエーションが生まれました。

 中国では偉い方へ「実物に近い立派なもの」を献上していたという名残から、より本物らしく、勢いのある鯉の姿にするために、木型を彫る職人さんと試行錯誤を繰り返しながら現在のリアルな型に辿り着いたのです。

 それでは、なぜこのように甘いお菓子が早くから製造されてきたのでしょう。

 そこには、長崎街道「シュガーロード」の影響が大きいと思われます。長崎は海外から砂糖が輸入される玄関口でした。高価だった砂糖を贅沢に使用できた環境があったことも事実です。砂糖文化の供給があったからこそ、いろいろなお菓子や精巧な細工を施した伝統菓子などが今日まで発展し、継承されてきたのです。

 子供の健やかな成長を願う社会を、今後も応援し、食文化の継承に努めなければならないと感じました。

 長崎県菓子工業組合・専務理事・眞﨑晋一