各地の菓子店探訪
山形県菓子店の投稿

エッセー 令和八年七月十八日

「我が子のように育ててきた菓子屋」

おかめ新聞

 私が四十二歳の時突然父親が亡くなり、それ以来お店の経営をしなければならなくなった。大変小さい菓子屋で人・物・金の、ないもの尽くし。あるのは借金のみ。おまけに立地条件もすこぶる悪い。何の特徴もない菓子屋、これから一体どうしようと途方に暮れていたが、迷った挙句チラシを作り、近所にばら撒いたのである。近所に住むおばあちゃんがチラシを見て「こんなところに菓子屋、あったのかしら?」と言い残して帰って行った。長年この地で菓子屋をやっているのだが、ご近所でさえ当店の存在を知らなかったのである。当店の存在を認識していない人が沢山いることに気づかされ、定期的にチラシを作っては撒いていた。

 また、ある日お客様から配達を頼まれ、届け先を間違えてしまった時のエピソード。「うちは〇〇堂からしか買いません」今でも強烈に記憶している。言われたことを恨んでいるのではない。むしろ感謝しているのである。このお客様の一言で当店の目標が決まったのだから。

 「当店もそのように言われる菓子屋になる!」でも、どのようにすればそのように言われるのだろう。菓子屋であれば、誰でも自分の作る菓子が一番だと思っている。もちろん、当店も同じ思いで作っているのだが「美味しい菓子」では競争にならないことを悟った。それでは、菓子を作る上での考え方「理念」を付加価値にしようと思いついたのである。

戸田屋の歴史

 「よい食品を作る会」というグループに参加させてもらい、「磯部理念」を勉強して、それに基づいた菓子作りを目指したのである。もちろん、チラシを利用して大いに宣伝したことは言うまでもない。

 あらゆる菓子原料の研究をし、原料に関する知識も豊富になった。お陰で当店の原材料倉庫には食品添加物が殆ど無くなった。今では、たくさんのお客様が当店を認めてくれるようになり、当店からしか買わないお客様も増えてきた。謙虚な姿勢でお客様に耳を傾ければ、商売のヒントがたくさん隠されていて、商売が俄然面白くなってくるのである。

 早くから後ろ盾をなくし背水の陣で無我夢中で菓子屋を営んできたのだが、社長を息子に譲り、今は引退して悠々自適である。我が子のように育ててきた菓子屋。とても愛おしいのだが、私の経験上、後継者がいるのなら早いうちに事業を承継した方がいいと思っている。

 山形県菓子工業組合副理事長・戸田正宏