各地の菓子店探訪
東京都菓子店の投稿

どこを切っても、 愛おしい

深い温もりと、手仕事の美学

金太郎飴

 どこを切っても同じ顔が現れる「金太郎飴」。私たちの日常においてこの言葉は、「どれもこれも画一的で個性がない」「型に嵌まっていて変化に乏しい」という、少し皮肉を込めた比喩として使われることが多い。しかし、私はこの素朴な組飴のなかに、現代人が見失いがちな深い温もりと、手仕事の美学を感じずにはいられない。

 一粒一粒、確かに同じ金太郎の顔をしているのだが、よく見ると少しずつ表情が違う。目がわずかに垂れていたり、口元が少し歪んで不機嫌そうだったり、丸顔がちょっと長細くなっていたりする。機械が寸分の狂いもなく大量生産したプラスチック製品とは違い、そこには職人の呼吸が生み出す「不揃いの愛嬌」が宿っている。完璧に均一化されていないからこそ、そこに人の手の介在を感じ、かえって愛おしさが湧いてくるのだ。

 金太郎飴を作る工程は、熱く柔らかい色のついた飴の塊を、計算された配置で大胆に組み合わせていく。最初は直径数十センチメートルもある巨大な、怪物のような飴の丸太だ。それを熱いうちに一気に細く細く伸ばし、最後にトントンとリズミカルに包丁で切り落としていく。飴は冷めればすぐに固まってしまうため、一瞬の迷いも許されない。あの小さな一粒のなかには、職人の手の感覚と、時間との激しい戦いが凝縮されている。

 「どこを切っても同じ」ということは、裏を返せば「最初から最後まで、決して手を抜いていない」ということでもある。外側だけを綺麗に飾り立て、見えない内部を疎かにするようなことは決してしない。最初の一粒から、袋の底に残った最後のかけらに至るまで、芯まで同じ情熱と技術が詰まっている。それは、表裏のない誠実な生き方そのもののようにも思える。見せかけの華やかさよりも、一貫した誠実さを持つことの尊さを、この飴は静かに教えてくれる。

 世間は「唯一無二の個性」を求め、他者と違うことを価値とする時代だ。SNSを見渡せば、誰もが自己の特別さをアピールし、他者との差別化に狂奔している。けれど、誰もが尖った個性を競い合う社会は、どこか息苦しい。過剰な自己主張に疲れたとき、私は金太郎飴の持つ平穏さに救われる。一見すると同じように見えながらも、実はそれぞれのなかに小さな揺らぎや味わいを持っている。大声を上げずとも、内側に確かな輪郭を持っている。そんな静かで、芯のある佇まいに惹かれるのだ。

 口の中に放り込むと、砂糖と水飴の純粋な甘さがじんわりと広がった。どこを切っても同じ顔。そのどれもが、わずかに不器用で、だからこそたまらなく愛おしい。

 株式会社金太郎飴本店・代表取締役社長・渡邊彰男