工芸菓子に魅せられて
菓道心 如月

今回は、令和7年度から副理事長に就任した菓道心 如月 野呂力さんを紹介します。
菓道心 如月は昭和48年(1973)に守山区大森で厳父野呂信男さんが創業、盛業を続けられ、のちに志段味店を開店、その後手狭になった大森本店の工場を現本店地に新築移転、大森、旧志段味店を新志段味本店に集約され現在に至っています。
節分の豆まきで著名な名古屋四観音の一つ、龍泉寺からもう少し先の、守山区志段味にお店はあります。名古屋でも近年一戸建てを中心に開発が進んだ地区で、イオン、コストコ、各ホームセンター、家電量販店、ロードサイドの飲食店が軒を並べる新興住宅地です。
店舗は郊外のロードサイド店らしく十分な駐車場があり、名物「めっけもん饅頭」の看板が目に入り、店内正面には、自慢の季節の生菓子が並んでいます。天井の高い開放的な空間で、楽しく買い物ができる環境です。

野呂さんは、昭和36年生まれ64歳、高校卒業後名古屋の洋菓子店ビクトリアに就職、菓子業のキャリアをスタートしました。就職の年にあたり、物を作ることは好きだが商売は苦手だと和菓子屋にはなりたくなったそうで、父親とは進路の話になると気まずい雰囲気になったそうです。しかし新しい世界を目指し洋菓子屋に就職しましたが、会社の都合もあり1月末で退職。熟考の末、一念発起しボストンバック一つで東京に出ることにしました。知り合いもなく怖かったし、名古屋弁で苦労したと当時を振り返ってみえます。
東京では、大森の名店「甘公園」で3年お世話になり、親方に恵まれて、どら焼き、カステラ、生菓子といった菓子作りの基礎を仕込まれ、家庭的な職場で有意義で楽しい日々だったそうです。
その後、横浜「新月」にて自家製餡を使った生菓子作りを、「北辰たちばなや」で名匠皆川一氏に師事、レオン包餡機を使った菓子作りを習得しました。
東京での5年の修行を終えるころには、自分の菓子作りにおける器用さが分かる一番の収穫があり、少し自信も持って、将来の希望を胸に帰名することになりました。
名古屋に戻り当時大森にあった自店にて父親と菓子作りを始める傍ら、菓子訓練校(現菓子技術専門校)に入校、菓子研究団体名和会に参加、創設されたばかりの研修部に入り例会に出品し、同時に工芸菓子の製作をこのころから始めました。
名古屋へ帰ってから始めた工芸菓子作り、プラモデル感覚で誰も同じものを作らず、見て感動してくれるのがとてもうれしく、長年に作り続けています。

全菓博では、松江菓子博(1989)の初出品から、金沢、盛岡、熊本、姫路、広島、三重、旭川と連続出品。名古屋生菓子工業組合100周年製作では超大作「名古屋城」の製作に中心で携わり、見事に完成展示しました。また伊勢菓子博では、菓子技術専門校などで「東山動物園のスター、ゴリラのシャバーニ」を手がけ、伝統的な花鳥風月ではなく、タイムリーな題材で作る大型工芸菓子製作では、その都度賞賛を受けており、ほとんどの名古屋の菓子屋で出品する大型工芸菓子の製作で活躍しました。
野呂さんは当時を振りかえり、所属団体、地域、業種の違う有志の方に「作品を完成させる」の一点で集まり協力して完成させることは「感動、感謝」に尽きるとのことです。
如月三代目を受け継ぐ息子さんも青年会などで活躍を始められ、これからの菓子屋人生は、親子でよい関係、距離感を保ちながら自分も現役で菓子作りを続け、息子には早く良い技術者になってほしいとのこと。愛菓工では菓子業界内の異業種の交流を楽しみにして、和菓子、洋菓子、流通と力を合わせて愛知の菓子業界を盛り上げていきたいとのこと。
愛知県菓子工業組合広報委員会・佐藤嘉高
全国菓子工業組合連合会