熊本地震の被災のなか無事開催
第18回全菓連青年部九州ブロック熊本大会
第62回菓業青年会九州ブロック熊本大会・第18回全国菓子工業組合連合会青年部九州ブロック熊本大会は、6月25日~26日、ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイで開催され約80名の青年部員が参加した。全菓連からは、堤副理事長、槌谷青年部部長が参加した。
大会では、国歌斉唱、物故会員追悼、大会綱領唱和の後、菓青会九州ブロック村田会長より「先の熊本地震の折は、全九州のメンバーの皆様にご支援と物資を頂きまして、誠にありがとうございました。九州の仲間達がいる事の大切さを再確認しました。これから復興に向けて、一つ一つおいしいお菓子を皆さんに食べて頂いて、うまい物を作り、一歩一歩進むしかないと思っています」と歓迎の言葉を述べた。次に、来賓紹介と全菓連堤副理事長より挨拶があり、青年部槌谷部長より「ニュースで熊本の状況を見ていましたが、実際に見て大変な事になっていることを、改めて実感しました。町中を歩いていると、所々立ち入り禁止になった家、崩れた家があり、まだ元通りに戻ったわけではないと感じました。その中、熊本の地でブロック大会を開催されることは、素晴らしいと心から感じています。ブロック大会を熊本で行うべきか議論があったと推察しますが、こういう時だからこそ、精一杯動き回り、菓子を作ってお客様へお届けすることが、菓子業界で生きる人が務めるべき役割だと感じております」と挨拶があった。
議事では、大会宣言文承認の後、次期開催地が長崎県で行われることが承認され、佐世保菓青会上田会長より「九州は一つ友情を深め研鑽をする、をモットーに長崎・佐世保一同、力を合わせて仲間のお越しをお待ちしています」と挨拶があった。次に松下ブロック長より各地へのブロック大会参加の報告、村田会長より会長会議報告、各菓業青年会近況報告があった。
本会議終了後、株式会社フジバンビ代表取締役社長吉田高成氏による「地域社会に貢献する企業をめざして『黒糖ドーナッツ棒の経営戦略』」の講演が行われた(以後掲載)。
その後、懇親会に移り、九州ブロック熊本大会井手実行委員長より「震災後、大会を無事開催できるかどうか、熊本菓業青年会一同不安で悩んでいました。しかし、関係各社、諸先輩方、菓青会会員の皆様、本日ご臨席賜りました方々のご協力とご理解のおかげで、無事開催する事ができました」と歓迎の挨拶があった。昨年の開催地の北九州大会西村実行委員長から「人から言われたことだが『メディアが放送しているのはほんの一部の事で、熊本の被災者がいろいろ訴えても伝わらない。だから、帰ってから伝えてください』とお願いされました。僕らにできることは福岡、北九州の菓子組合並びに青年部など色々な方に写真を見せながら『お菓子で皆さんの笑顔を引き出す事ではないでしょうか?』と伝えました。その言葉で、福岡で6500個のお菓子が集まりました。5月23日、熊本県菓子工業組合堤理事長並びに各方々のご協力により、色々な場所へ行き、心がつまる思いでした。菓子屋ができることは、お菓子でしか支援できません。熊本から依頼があれば、お菓子の支援をしていただきたいと思います。"九州は一つ"の合言葉になって、菓子屋が熊本を盛り上げていきたいと思っています」と挨拶があった。次に来賓を代表して堤副理事長より「熊本の地震では皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。水、食料など交通事情の悪い中持ってきて頂きました。これはなかなかできる事ではありません。まだまだ余震もありますが、熊本は負けません。絶対復活させ頑張っていきたいと思っています」と挨拶があった。最後に大会旗伝達式、次期開催地代表者挨拶、万歳三唱が行われ閉会となった。
翌日、護国神社内の菓祖新宮神社で正式参拝し、玉串拝礼を行った。宮司より「元の鎮座地である新町の"新"と、現在の鎮座地の宮内の"宮"の文字を取り、新宮神社と称されました。社の中には石の祠が入っています。昔、新町には菓子職人の町があったそうです。田道間守命というお菓子の神様を、お菓子の職人でお祭りしていたが、時代とともに職人が少なくなりお祭りがなくなって、個人宅に祠だけ放置されていました。地域の方々から相談を受け、お菓子の香梅の会長が知り、昨年の11月にこちらに遷座をされました。社の横には、田道間守命が持ち帰ったと言われている、橘の木が植樹されています。今こそお菓子は、様々な種類がありますが、昔は柑橘系の食べ物をお菓子と言って、薬の代わりにも食されていたそうです。年配の方は、風邪を引いたら薬の代わりに焼きミカンを作る方がいるのも、そのいわれと思われます」と説明があった。
次に熊本城を訪問した。熊本城は400年前、武将加藤清正により築かれた。地震により石垣や塀が崩れ、入場は不可で、所々立ち入り禁止になっている。二の丸広場から見える戌亥櫓は、石垣が大きく崩れ角の石垣だけでかろうじて支えられている状況である。