西美濃賛菓 みやこ屋
家業と文化を継ぐ
「父親の後を継いで菓子屋になろうなんて、これっぽっちも考えてなかったよ。甘い物、特にあんこは得意じゃなかったし…」
岐阜県の西部に位置し、古くから城下町として栄えてきた県下有数の菓子処である大垣において、50余年の歴史をもつ和菓子店「みやこ屋」の2代目社長粕川康夫さんは、幼い頃の思い出をこのように語る。白衣を身にまとい、朝から晩まで現場でお菓子作りに勤しまれる姿からは想像できない言葉だが、お菓子嫌い(?)だった粕川さんが、菓子職人として生きて行くことを決意するまでには、様々な人との出会い、そして大きな感動があったという。
1964年、京都のタカラブネで修行された初代は、大垣に戻り菓子屋を開業した。当時は和菓子専門店というよりは、パンやジュース、駄菓子なども扱った「まちのおやつ屋さん」的なお店で、近所の高校生の集会所として大変賑わっていた。しかし十数年後、仕入れ商品を扱うだけの商売には限界があると考えた初代は、和菓子専門店へ大きく方向転換し、現在の「みやこ屋」の礎を築き上げられた。
長男として家を継ぐことを多少は意識していたものの、大学に入るまで自社商品もほとんど口にすることがなかった粕川さんに大転機が訪れたのは大学卒業を目前にしていた頃の事。特に就職先もきめていなかった粕川さんに、当時技術顧問としてお招きしていた先生から「滋賀県のたねやさんへ修行に行かないか?」と声をかけられ、お店を見に行った時、今まで自分がイメージしていた和菓子屋とは一線を画す広々とした店内、見事にあしらわれた季節感あふれる装飾に「菓子屋はこんなにも素敵なものになれるのか」と感動したという。この感動を胸に「たねや」さんでの修行は始まった。修行期間中には、週に1回の習字の練習と茶道教室の日には社長宅へ赴き、目を輝かせながら将来のたねやの姿を語る社長の言葉に心を躍らせ、百貨店の店舗応援に入った際は、同業の方から羨望の眼差しを向けられる見事なディスプレイを自分の事のように誇りに感じるとともに、お菓子の美味しさは当然の事として、お客様をお招きするお店にとって季節感の提供がいかに大切な事であるかを学んだ。「今から思えば、もっと学ぶべき事はたくさんあった。」と話されるが、お店にお邪魔すると、修行時代に培われたものが随所に現れており、謙遜である事は一目瞭然。お客様にとって居心地のよい空間を提供したいという気持ちが店内に溢れかえっている。
初代より家業を継いだのは2005年。不惑を迎えようとする年だった。地産地消のお菓子作りを目指し、積極的に地元の食材を使用するとともに、菓子屋には地元の文化を伝える役目があると考え、菓名には「輪中の水神さま」や「歌むすび」など、地域の歴史や文化を取り入れたものが多い。食材・菓名ともに、みやこ屋がかかげる「西美濃賛菓」のコンセプトに則ったお菓子作りはまだまだ続く。
ご自身の経験をもとに、ご子息に「みやこ屋」を継いでもらいたいか?という少し意地悪な質問を投げかけてみたところ「やりたいと言ってもらいたい。けど言われてやって挫折した人をたくさん見ている。お菓子屋って仕事は、嫌々できるものじゃないからね」と答えが返ってきた。お菓子のために技術を磨き、感性を磨き、そのために時間を割く。あんこ嫌いだった粕川少年は、数十年の時と様々な出会いを経てお菓子をこよなく愛する一流の職人となり、岐阜の菓子文化を支え続けている。
全菓連青年部長・槌谷祐哉