各地の菓子店探訪
岐阜県菓子店の投稿

伊吹堂

思い受け継ぎ必死の努力で開店

窪田さんと奥さん 歌舞伎役者の息子が幼い頃から歌舞伎に触れ、やがて父親の背中を追って役者の道を歩むように、菓子屋の息子には常に菓子屋になる道が見えているのでしょうか?

岐阜県揖斐郡池田町は町の東側を揖斐川が流れ、西側には池田山を始めとする山々を有する自然豊かな町。ここで和菓子店を営む窪田和仁さんも菓子屋の道に舞い戻ってきた一人です。窪田さんは、池田町から少し山間部に入った、揖斐川町に生まれ、更に山間部に入った春日村(2005年に揖斐川町と合併)の入り口で祖父の代から続く伊吹堂のお菓子とともに育ってきました。春日村は家族・親戚付き合いを非常に大切にする風土が残っており、法要のお菓子のご用命を賜ると、車に満載したお菓子をお客様の家にお届けするお父様の姿が今も記憶に残っているとお話しされます。ただ村のお菓子屋さんの宿命か、和菓子一筋で商いが成り立つほどの人はいないのが辛いところ。2代目に当たるお父様の時代には、ヤマザキパンのチェーン店舗契約を結び、パン屋さんと和菓子屋さんの併売店として春日村のお客様に親しまれてきました。当時の窪田さんは、お菓子に対してそれほどの興味もなく、高校を卒業後、自動車会社に就職。菓子屋の道とは別の道を歩み始められました。その後約6年間、サラリーマン人生を送られてきましたが、地元のイベントや祭りの時には伊吹堂のお手伝いも少しはされていたそうです。細い道ですがお菓子屋の道を確実に残されています。

池田のやま そんな窪田さんに転機が訪れたのは24歳の時。仕事のこと、家のこと、家族の事に思いを巡らし、菓子屋の道に戻ることを決意し、隣町の有名店「吉野屋」さんでの修行が始まりました。お菓子作りのことは何も知らなかった窪田さん、最初の仕事は卵割りと洗い物。同期や兄弟子は年下。同い年は菓子専門学校でしっかりと勉強してきていたため、技術は遥か先を行っており、当時は出遅れた時間を取り戻すために必死だったそうです。必死になって勉強したからこそ、窪田さんの頭の中には1つの大きな夢が芽生えてきました。「和菓子専門の新たな伊吹堂を作りたい…」

吉野屋さんでの修行が始まって13年もの歳月が経ちました。その間に和菓子の勉強会で最優秀賞を取ること3回、平成20年には全国和菓子協会が認定する選・和菓子職「優秀和菓子職」も取得。窪田さんは押しも押されぬ菓子職人になられ、満を持して池田町に伊吹堂を開店されました。お店を始める当初は、屋号を伊吹堂のままにするか、もっと小洒落たものにするか悩まれたそうですが、祖父から続く伊吹堂の名前を守りたいという思いと、池田町には、春日村から移り住まれた古くからのお客様がたくさんいらっしゃるため、お客様にとって馴染みのある屋号の方が良いと決意されました。

伊吹堂の名物は2つあります。1つは修行時代から磨き続けてきた「どら焼き」で池田町のシンボルとも言える池田山をイメージし「池田のやま」と命名。手に吸い付くように感じるほど、しっとりふわふわの生地に甘さを抑え小豆の風味をしっかり残した餡とバターをサンド。1個食べると2個目に手が出る美味しさです。そしてもう1つが「あげぱん」。食パンに粒あんをサンドし、サクッと揚げたあげパンは、2代目であるお父様が考案されたお菓子で春日村のソウルフードとも言えるほど、多くのお客様に愛されています。パン屋さんと和菓子屋さんの併売店だったからこそ生まれた逸品です。

最初は細い細い道だった窪田さんにとっての和菓子屋の道。多くの人との出会い、代々受け継がれてきた伊吹堂への思い、そして窪田さん自身の努力で、今や伊吹堂の道は太くキラキラと輝いています。

 全菓連青年部部長・槌谷祐哉

 

店舗データ

伊吹堂伊吹堂

岐阜県揖斐郡池田町八幡2511−5
電話:0585ー45ー0890
8時30分~19時 火曜日定休

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