伝統と文化が生きづく飛騨高山
~飛騨の駄菓子に舌づつみ~
飛騨高山の銘菓が一同に集まる晩秋の風物詩「お菓子と特産 暮れの市」(主催 高山菓子組合など)が、平成29年11月11日から12日までの2日間、高山陣屋前広場で開催され、約1万人の観光客や市民で賑わいました。
飛騨の駄菓子は、「こくせん」など江戸時代に飛騨を治めた金森氏による高山の町づくりとともに発達してきたと言われています。
以降、寒冷地である飛騨の産物、大豆、大麦、くるみ、わらび、とちの実、そばなどを原料とした数々の銘菓が生まれました。
「飛騨の匠」に集約される飛騨独自の技やセンスに城下町時代の「茶の湯文化」の伝統や江戸期の天領時代の文化交流が加わって、飛騨のさまざまな菓子が育まれていったともいえます。
このほか、飛騨高山には古くから受け継がれた伝統の山菜料理、精進料理をはじめ、「寒冷地には良酒有り」の言葉どおり、気候と水、そして米に恵まれて良質で独特な地酒のほか、飛騨地方独自の食である焼き味噌に用いる味噌や漬物などもあります。
江戸時代、6代107年間続いた金森氏の京文化とそれ以降、天領となって177年間続いた天領時代の江戸文化が融合し高山独自の伝統文化が生み出されました。
こうした背景の中、飛騨高山は昭和45年(1970年)国鉄の「ディスカバージャパン」キャンペーンにより「こころのふるさと飛騨高山」として全国的にクローズアップされました。
その後、官民一体となった観光誘致により、年々観光客が増加し、平成13年には、3,218千人を記録しました。
平成17年には、周辺の町村と合併し東京都と同じ面積を持つ日本一広い市へと生まれ変わりました。
その約98%を森林が占めているものの、北アルプスをはじめ、豊富な温泉や豊かな自然、食文化、飛騨の匠に代表される高山祭や伝統工芸、そして人情などより豊かな資源に恵まれています。
こうした景観や取り組みが評価され、平成19年と平成21年にはミシュランのガイドブックで「三つ星」に選定されました。
その後、平成23年の東日本大震災で観光客は減少したものの、再び増加に転じ、平成28年の観光客入込数は、4,510千人、そのうち外国人観光客は、461千人(宿泊ベース)といずれも過去最高を記録しました。
今後は、国際交流文化都市として国内観光客とのさまざまな地域・世代間を越えた「交流」、外国人観光客との国際的な「交流」を図り、先人達が残してくれた資源を活かし、継承しながら「こころのふるさと飛騨高山」、「リアルジャパン」を目指していきます。
岐阜県菓子工業組合代表理事・渡辺良治