和菓子の力と被災地支援
菓子教室と呈茶を実施
2011年6月、石川県内の菓子屋仲間である行松旭松堂さん、深沢製あんさんと一緒に、岩手県宮古市を訪問。目的は菓子教室を開催し、被災者の方に上生菓子を作っていただき、お抹茶を召し上がっていただく事。それと県内の仲間が提供してくれた菓子類を配る事。
当時、宮古市で支部長をされていた『ドール洋菓子店』の小林さんと会計幹事『中村屋せんべい店』の中村さん、岩手県淡交会の平栗先生や、宮古市で学茶講師をされていた田中裕美さんのご協力のおかげで、実現出来ました。
その頃はまだ小林さんも田中さんも避難所暮らし、中村さんも店舗工場を被災されていたにも関わらず、現地との橋渡しをしていただけたおかげで、人生観が変わる、一生物の経験をする事が出来たのです。
訪れた先は、津波により壊滅的な被害を受けた鍬ケ崎地区。そこの小学校体育館では段ボールなどで仕切られただけの空間に多くの方が避難され、かなりストレスフルな環境でした。その一角で菓子教室と呈茶をしていた時に、ある年配の男性が『菓子教室はしたくない、お茶も飲みたくない、でもお菓子は欲しい』と言ってきたのです。大急ぎで上生菓子(天の川)を作り、その方にお渡ししました。しばらくすると、またその男性が現れ『もう一度さっきのお菓子が欲しい』と。再び渡すと、その男性はご自身が生活している区間へ行き、直ぐに戻って来て、ポツポツと話をし始めてくれました。『貰った上生菓子を、歩くのが困難な妻へ持って行ったところ、こんな美しいお菓子は今まで見た事もなく、とても喜んだ。だからお礼を言いに来た』と。そのあと、その男性もお菓子作りをし、お抹茶を飲んだ後には『自宅も何もかもが流されただけでなく、目の前を流れる瓦礫の中から助けを呼ぶ声が聞こえたのに、助ける事が出来なかった、その声が耳から離れなくて辛い』など、悲惨な話もあれば『上生菓子やお抹茶は生まれて初めての体験。世の中にはまだまだ良い事もいっぱいあるから、頑張って生きないと』とも。そして最後は、自分達が体育館を離れる時には、手を振って見送ってくれました。
自分自身、和菓子屋の息子として生まれ、和菓子の存在が当たり前となっていましたが、この男性と出会った事で『和菓子は和む菓子、菓子が持つ魅力やパワーは素晴らしい物である』事を認識し、菓子を生業にできる事の誇りが生まれました。
震災から7年が経ち、被災地訪問は30回程となっています。ずっと菓子教室を続けている宮古市の学校の卒業式には来賓として招待されるようになり、卒業式のお菓子を生徒と一緒に作っています。被災地の学校や幼稚園への菓子配布は、石川県内の菓子屋だけでなく、中部ブロックの仲間も協力をしてくれるようになりました。
これからも『お菓子で被災地を笑顔に』し続けて行きますので、是非ご協力ください。
詳細は『石川県 菓子 ブログ』で検索。または、石川県菓子工業組合青年部東北復興支援委員長那谷までご連絡ください。
石川県菓子工業組合事業企画委員・那谷忠之