各地の菓子店探訪
愛媛県菓子店の投稿

明治16年創業 白石本舗

松山地方に春を呼ぶ和菓子りんまん

りんまん 当店は、明治の初期、左官の棟梁で檜皮葺(ひわだぶき)職人でもあった、白石貞吉の妻の白石ハナによって創業されました。それまで松山地方の各家庭で作られていた醤油餅に初めて餡を入れて売り出したのが最初でした。蒸し上がったものをうちわで乾かして、そのまま店頭で売るといったもので、はじめはハナの小遣い稼ぎのようなものだったそうです。
 明治16年1月5日、のちに二代目となる白石ハルが生まれたのをきっかけに、その日を創業年月日と定め、本格的に醤油餅店として商売をはじめました。

 余談ですが、松山市の重要文化財である道後温泉本館が明治27年に建てられたのですが、現在は銅板で出来ている一階部分の庇(ひさし)が、その当時は檜の皮を重ねた檜皮葺といわれる工法で出来ており、その工事を担当したのがハナの夫、白石貞吉でした。

 また、松山には醤油餅と並んで、りんまんと呼ばれる菓子があります。米粉で練った生地に餡を入れて丸め、色のついた餅米をのせたものです。赤や黄色の色とりどりの米がのっています。名前の由来は2説あって、一つは中国の林(りん)さんが伝えたという説と、上にのせた米がお魚の鱗(うろこ)のようなので、鱗(りん)まんと呼ぶようになったという説がありますが、よく分かっていません。広島など他県にも同じような菓子で、いが餅というのがあります。明治時代の随筆にも、おりんまんという言葉が載っていますので、少なくとも明治にはあったお菓子のようです。

 松山地方では雛祭りの頃にお雛様にお供えしたりしていたようで、時代が変わっても懐かしいといわれ、りんまんを買い求めに来られるお客様はたくさんおられます。最近は、洋菓子をはじめさまざまな菓子が出来ていますが、こうしたりんまんのような素朴な和菓子も後世に伝えていきたいと思っています。

 白石本舗四代目店主・白石惠一