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疱瘡見舞いの鯛落雁

和菓子と感染症対策の歴史

鯛落雁 COVID―19禍で、日本経済は大変な苦境にさらされています。ここはなんとか耐え忍んで、想像もしていなかった感染症との闘いを乗り越え、業界として和菓子文化を未来につないで参りたいと切に祈願します。

 さて、日本の歴史上、感染症禍といえば、代表的なものが疱瘡(天然痘)です。平安時代以降、度々大流行に見舞われ、多大な死者を出しております。時の天皇や為政者にも多くの犠牲者が出ております。東大寺の大仏建立や、墨田川花火大会も、疱瘡流行を沈めるため現れたイベントですし、伊達政宗の独眼も疱瘡によるものだそうです。

 江戸時代にも、この流行が度々発生いたしました。特に子どもの犠牲者が多かったので、疱瘡を封じ込めるための様々なおまじないが発生しました。疱瘡絵が流行し、真っ赤な色が疱瘡除けによいとなれば、真っ赤な玩具を部屋に飾る、という風習が生まれました。達磨、猿ぼぼが赤いのもそのためです。寛政年間の大流行において、赤飯を食べることと、赤い落雁を疱瘡見舞いに使うという風習が生まれました。それまで落雁といえば、武家が家紋に仕立てた小ぶりの物でしたが、このころ、一気に大型化し、赤く着色し、鯛などの意匠を取り入れるようになったようです。

 この木型が当家桔梗屋織居に残っておりまして、このCOVID―19感染拡大を祓うようにと復元いたしました。おなじ意匠の木型が、石川県観光物産館に展示されております。

鯛落雁木型 これは、彫りの浅い一枚型で、縁をチューブ状に深彫りし強度を付けた、独特のポップな意匠です。大きいものは三尺あったそうです。当家に残っていますのは、5寸5分、7寸、1尺、1尺2寸と4種類ありました。当時、同じ意匠で作るこの鯛落雁が広まったと思われますので、全国の老舗さんでは所蔵されているものかと想像します。

 この落雁が、明治以降、2枚型となり、婚礼に使われる、厚みがあり、いわゆる押物となって餡などを入れ込んだ派手なものに代わっていったというのですね。

 ちなみに、疱瘡見舞いの鯛落雁が、金沢にみられ、伊賀にもみられるというのは、赤色の色素を取るための紅花の流通と関係があるように思います。加賀は当時から、生活様式の中に赤色をふんだんに取り入れた文化ですし、伊賀は当時、紅花の産地でしたから。

 さて、こうした和菓子の、感染症対策の歴史、今回も、アマビエチャレンジの流行にみられるように、繰り返されるものだと思います。鯛落雁の木型が、歴史を超え、今回復元できたのも、過去からの警鐘ということでしょう。もし、この木型を所有されている老舗さんがありましたら、ぜひ、復元にチャレンジしていただきたいと思います。

 三重県菓子工業組合副理事長・上野支部・㈱桔梗屋織居代表取締役・中村伊英

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