各地の菓子店探訪
静岡県菓子店の投稿

株式会社 やまだいち

名物に美味いものあり「安倍川もち」

安倍川もち

 静岡県では一般家庭でもお餅に「きな粉」をまぶして食べることを「安倍川」と呼んでいる。このように静岡を代表する「安倍川もち」は昔、東海道五十三次の府中宿と呼ばれた時代から美味しいものの名物代表となっている。特に徳川家康が命名されたという由来(諸説あり)や江戸時代十返舎一九の道中記「東海道中膝栗毛」に登場したことで今日まで名物として愛され親しまれてきた。しかし、戦中戦後物資不足からその製造は一時中断された。戦後、伝統ある「安倍川もち」の復活に奔走したのが「やまだいち」の創業者山田一郎氏でした。当時は統制経済の時代、原料の調達は困難を極め、昭和24年、当時の静岡市長を会長に「安倍川もち保存振興会」を設立、静岡新聞社や静岡県経済課などの官民挙げての支援協力を頂き、漸く特別配給の許可が下り昭和25年3月、駅という公共の場での販売にこぎつけた。「安倍川もち」の復活が静岡復興の象徴となった。

 創業は山田一郎氏が昭和25年3月、静岡市鷹匠町に「静岡名物食品」設立、昭和41年10月、現在地の登呂に新築移転して法人、「静岡名物食品株式会社」に改編、昭和44年4月に「株式会社やまだいち」に変更、現在は2代目、山田照敏氏が引き継いでいる。本社工場のある登呂遺跡は弥生時代の住居、水田跡が国内で早く発掘された考古学上また、名所地として重要な所であり国の特別史跡の指定を受けているが昨今は吉野ケ里遺跡に注目が集まっている。ここに「やまだいち」が本社本店を構えたことは登呂遺跡の保存と観光面においても意義は大きい。本店は本社・工場の隣接地に奥会津より古民家を移築して「登呂もちの家」を開店、飲食店として出来立ての安倍川もちを提供している。

山田一郎氏

 「やまだいち」の安倍川もちは元祖と言われる「亀屋」宮崎家当主から後継者にとお墨付きを頂き、400年の伝統である搗き立てのもちに黄粉をまぶして食するお菓子文化を守るため鉄鍋で湯煎にしていつでも「搗き立てのお餅」を召し上がっていただいている。お土産用は常に「餅らしさの追求」をして名物の味を訪れるお客様にお届けできるよう創業者山田一郎の意思を変えることなく現在に伝えている。当初は駅での販売が主でありパッケージや包装紙などを工夫したことでマスコミにも関心を集め全国に静岡名物安倍川もちを広めることが出来た。

 「やまだいち」と皇室とのつながりは深く昭和天皇は行幸の折、何度も静岡駅でお召列車を止められて安倍川もちをお買い上げ賜り、今上天皇は皇太子時代から召し上がっていただく機会があり特に高校総体開会式ご臨席の折には休憩の御茶菓子に搗き立ての安倍川もちをご賞味いただいた。他の皇族方にも愛され好まれ多くの逸話が話題となっている。最近、静岡市で行われた将棋の藤井聡太名人の「おやつ」の候補に選ばれ、囲碁の本因坊戦では井出裕太本因坊にはお召し上がりいただいた。

 静岡県菓子工業組合理事・森田紀