各地の菓子店探訪
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有限会社松浦軒本店

カステラと歩む二百余年

松浦軒本店 恵那市岩村町は、日本百名城に選ばれた岩村城の城下町です。岩村城は、鎌倉時代に源頼朝の家臣加藤景廉により築城され、以来800年の歴史をもつ山城です。戦国時代には信州、尾張、美濃の国境でもあり、城と領地をめぐって織田信長と武田信玄の戦いの場ともなりました。

 弊舗は江戸、寛政年間より、七代に亘り菓子屋を生業とし、カステーラを焼いてきました。屋号は横屋で辰造を襲名し、横辰の名で通っておりました。松浦軒本店の名は明治に入ってからのものです。生業も栄枯盛衰がありました。

 大正末期から昭和初期にかけ中央線沿線の名古屋、多治見、瑞浪、恵那、中津川、明智に暖簾分けした店を持った時期も有りました。太平洋戦争末期には、食料統制が厳しくなり、営業が出来なくなりました。この食糧難の時代には「農家の方が薩摩芋をスライスして天日で干した物を持込み、それを粉砕してせんべいを焼いていた。」と聞いております。 

 私の子供の頃は男の従業員が3名住み込み、家族と一緒に食事をしておりました。今の様に機械が無く、全て手作業でした。釜はすべて薪をくべる「くど」を使い、水は井戸水で手押しポンプを使っていました。一番苦労していたのは、正月前の餡取りでした。寒さの中、大きなザルと直径18センチ程の片手で握れるように作ったすりこ木を使って、手びしゃくで水を使いながらの作業です。この頃は、普段は暇で、お盆と正月だけは良く売れていた事を覚えています。代々作り継いできたカステーラは、お百姓のお爺さんが集落を一日廻ってやっと集めた卵を百個程買い入れ焼いていました。

カステーラ 今では電話一本でいくらでも購入できる事を思えば雲泥の差です。菓子作りにも機械が導入され随分楽になりました。しかし、ブランド力と生産力の差が歴然となり、菓子屋も大変な時代になりました。

 岩村町は主要国道やJRから遠ざかり産業が発達せず人口も減り続けている中で、先代が体調をくずしました。そこで私は平成元年から後を引き継ぐことになり、特徴を出した菓子作りを続けて行きたいと思い、思考錯誤を続けております。

 数年前より、自家農園として田を作り、ここで取れた「こしひかり」を製粉して、柏餅を作っております。原料、配合、デザイン、宣伝方法等、一人で考えるのには限界があり行き詰まっております。長年続いた菓子屋を次の代に引き継ぐ事が、難しい時代となり心配しております。

 岐阜県菓子工業組合・松浦昭吾
           
かすていらの栞(祭礼:毎年10月第1土・日曜日開催)

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