各地の菓子店探訪
京都府菓子店の投稿

京菓子司 幸福堂

ごじょう ぎぼし最中本舗

5代目店主の北川善英さん 1159年、義経の父、義朝は藤原信頼と平治の乱を起こすが、平清盛に破れ、東国に逃れる途中、尾張で譜代の家来に謀殺された。母常盤は清盛のものになり、牛若ら3人の子どもは仏門に入ることで赦免された。牛若は7歳になったところで鞍馬山の別当東光坊に預けられた。ある夜、牛若のもとに正門坊と名乗る僧が現れる。正門坊は、牛若が源氏の大将義朝の子であり、義朝は清盛に敗れたことを伝えた。己の素性を知った牛若は、夜になると、密かに寺を抜けて武芸の腕を磨いた。

ある日、牛若が笛を吹きながら五条大橋にさしかかった時、1人の僧が立ちはだかった。この僧は999本の刀剣を集め、千本目を手に入れようと待ちかまえていたのである。この僧こそ、武蔵坊弁慶であり、名刀を集めて金に換え、これを自ら炎上させてしまった、播磨国姫路の書写山円教寺の堂塔再建費に当てようと考えていた。太刀を奪おうと弁慶は長刀を振り回して牛若に斬りかかってきた。しかし牛若は橋の欄干を飛び渡り、巧みにこれをかわす。牛若に翻弄され続けた弁慶は太刀をあきらめ、牛若丸の家来となった。

この有名な五条大橋は、もともとは今の松原通りにあり、天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉の大仏殿建立によって、現在の位置に五条大橋が架けられたことにより、通りの名前と橋の名前が変わった。

今回は、その松原通りにある明治元年創業の「幸福堂」にお邪魔し、5代目店主の北川善英さんにお話を伺った。名物のきぼし最中の「ぎぼし」とは橋の欄干の飾りで、最中種を「ぎぼし」形に、五条大橋の伝説にあやかってあんこがぴったり入った方を「牛若丸」、はみ出すほど入った方を「弁慶」と名付けている。丹波大納言の粒あんを使い、見た目はボリュームがあるが、いただくとあっさりしていて、一つペロッと食べられてしまう。朝生の種類も豊富で、季節によって商品が変わってゆく。この日も、新作「抹茶あんわらび」が並んでいた。「伝統の味を守りながら、今後は、時代に合ったお菓子作りを目指す。生クリームやチョコレートなど洋菓子の原料も積極的に使っていきたい。この松原通りには、11代続く和ろうそく屋や、21代続く弓屋など老舗が多い。幸福堂はまだ5代目。益々地元のお客様に喜んでいただけるよう頑張っていきたい。」

北川さんは、今期京都府菓子工業組合青年部部長を務めておられる。「小中学生に年5、6回程度和菓子教室を開いている。その中で、和菓子を食べたことがない子供がいたり、和菓子を食べる習慣が薄れつつあることを感じる。青年部の取り組みに責任を感じる。」と熱っぽく語る。今後のご活躍にご期待申し上げたい。

 青年部近畿ブロック長・中島慎介

 

店舗データ

幸福堂京菓子司 幸福堂
京都市下京区松原通河原町西入松川町388-2
TEL…075-341-8850
URL…http://www.ko-fukudo.com
営業時間…9:00~19:30
定休日…水曜日