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薯蕷饅頭

薯蕷饅頭材料の薯は生きている【薯蕷饅頭編】

 日本の四季にはそれぞれに和菓子があり、幼い思い出から大人になっても心のふるさととして息づいています。この和菓子を時代に即した商品に育てるため、今一度掘り下げて見ました。

 薯蕷薯を使用して作り上げた饅頭。薯蕷の成分である「グルコノマンナン」の粘りに空気を抱き込みこの気泡に熱を加えて浮かすものである。鎌倉時代に小麦粉饅頭が完成されが、その後献上品として「薬薯」(くすりいも)を使用した饅頭を作り上げた。室町時代から江戸時代は高級な饅頭「薬饅頭」として扱われていた。明治時代になり上白糖が豊富に出回り京都を中心に、一般平民も食することができた。戦前の関東では丸薯の入手が難しく薬饅頭はごく一部のお店で製造されていた。関東では「大和薯」と上新粉を使用して「関東ごね」なる製法の饅頭が開発され高級饅頭として扱われた。昭和三十五年頃になると関東では二~三日日持ちのするお菓子の需要が高まり、関東ごねでは硬くなりやすく、京都の薯蕷饅頭が作られるようになったが、食べ慣れていないお客様からは「薯臭い」と苦情も聞かれたこともあったと言う。最近の関東ではほとんど京都風の製法で材料も京都と同じものを使用した高級饅頭として地位を築き上げた。また、昭和五十一年から開催されている技能検定の実技試験には全国に美味しい薯蕷饅頭の普及をねらって、試験課題となっている。材料の丸薯、つくね薯、伊勢薯は生きており紫外線や電波、地中に無いステンレス等にあうと硬く締まる傾向にある。生地こねに擂り鉢や寿司桶を使用するのとステンレスボールを使用するのでは多少配合を変えなければならない。

 薯蕷饅頭は生地に占める砂糖の割合は四十五%であり、中餡の配当率も七十%以上でなければ中餡が締まり生地と中餡がなじまない製品となる。

●配合
薯蕷薯(摺りおろし)………100g
上白糖…………………………200g
上用粉…………………………130g
(粳米を水漬けして製粉)
*生地の硬さは季節や使用で道具によって変わるので、多少配合を変更しなければならない。
*薯の腰が強い場合は水を加えるがその水も薯として砂糖、粉を増やさなければならない。
*薯をすり下ろすおろし金は陶器または銅製の目の細かいものが薯にねばりが出て浮きがよくなる。

●中餡
小豆こし生餡……………… 1000g
グラニュー糖…………………650g
水………………………………300g
ハローテックス ……………… 80g
食塩…………………………… 1.5g

●工程

①薯の皮をむき、おろし金ですりおろす。(季節によって焼ける場合があるときはミョウバン水漬けしてからすりおろす)

②上白糖を加えてなめらかになるまですり混ぜる。

③薯の腰が強い場合には水を加える。ステンレスで生地をこねる場合は100gの薯に5~10gの水が入る。

④上用粉を加え折りたたむように粉を混ぜる。手の熱を付けないように指先でこねる。

⑤上用粉を手粉にして生地15g中餡25gを包んで丸腰高に整える。

⑥セイロに濡れ布巾と蒸し物用シリコンペーパーを敷き、包上げた饅頭を並べて軽く水霧を掛ける。

⑦中位の蒸気圧で十分位で蒸し上げる。

⑧網渡しに取って蓋をして冷ます。

●写真菓銘「織部饅頭」

 古田織部(一五四四~一六一五)山城国三千五百石を治めた大名でもあり、千利休から茶道を学び、織部流の祖とされる茶人でもある。晩年は豊臣秀頼に献茶したり、徳川二代将軍秀忠に茶の湯を指南した。古田織部の指南を求める者は多く、大名から公家衆、僧侶にまで及んでといわれている。また、織部の影響もあって美濃国で「織部焼」の陶器が作られた。

 古田織部亡き後、この陶器の模様を取り入れた薯蕷饅頭が織部饅頭である。一説によれば織部焼きは「雪の白と緑の葉、垣根」を表したものであるといわれている。

専修学校 日本菓子専門学校 鎌田克幸 氏
和菓子講習より

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