黒糖ドーナツ棒
誕生の秘密は「カントリーミュージック」と「スキー」
今や全国区の人気菓子「黒糖ドーナツ棒」は現フジバンビ社長であり、熊本県菓子工業組合副理事長の吉田高成氏が生みの親です。
吉田社長は、大阪の銀行に勤めていた20代半ばに、フジバンビの前身「冨士製菓」社長である義兄に誘われて入社しました。
「黒糖ドーナツ棒」開発のきっかけは、30年前高齢化社会の到来が話題になり始め「堅いかりんとうだけでなく、洋風の新しい商品ができないか」と思案していたことに始まります。
そんな折、趣味の音楽を通じて親交があったカントリー歌手のチャーリー永谷さんに、長崎・佐世保の米軍将校クラブに連れて行ってもらった際にテーブルに山積みされていた当時はさほど出回っていなかったドーナツを食べて「これだ!」と直感しました。
以来我流でドーナツを作って商品化するも失敗も多く「もう一工夫できないか」と悩んでいたところに阿蘇でスキー中に足を大怪我し入院する事になりました。
当時専務だった吉田氏は社長から「入院中、世の中にないものを考えろ」と言われ、病院を抜け出しながら開発したのが「黒糖ドーナツ棒」でした。
最初は小ぶりのバナナくらいの大きさで返品も多く商売になりませんでしたが、食べやすいサイズにするなどの改良を重ね、さらに熊本出身のエッセイスト水間魔遊美さんの文字をパッケージに入れたり、高品質の黒糖を使用するなどの粘り強い工夫で売り上げが徐々に伸びていきました。
さらに2009年から女子サッカーチームの「INAC神戸」とのスポンサー契約を結び、2011年に同チームが優勝を果たすと注文が殺到し大ヒット商品となりました。
現在は熊本、福岡、神戸、沖縄など県内外に8店があります。
社長は時に趣味の一つのスチールギターを弾いて音楽を楽しみながら、連日東奔西走しています。
【エピソードの出典は4月14日熊本日日新聞より】
熊本県菓子工業組合事務局・野田尚美