各地の菓子店探訪
愛知県菓子店の投稿

合名会社納屋橋饅頭万松庵

「革新の継続こそが伝統」

代表社員 中島康博氏
営業部次長 中島健一朗氏

納屋橋饅頭万松庵 明治19年、海運業から一転「伊勢屋」で修業した創業者が大正8年に暖簾分けとなり、名古屋市大須で「納屋橋饅頭万松庵」を開店し尾張の地で歴史を重ねている。

 今回、4代目代表社員の中島康博氏と5代目を担う営業部次長でご子息の健一朗氏にお話を伺った。

 元々、農業大学で醸造を研究、学んだ康博氏は屋号でもある納屋橋饅頭の拡販を目論むも、本酒饅頭は朝作って夕方に硬くなるため、お客様の利便性と美味しさを兼ね備えた酒種の研究に取り組んだ。現在では3日間硬くならない酒饅頭に改良が進んでいるが、まだ発展途上であると考え、さらなる技術革新に意欲をもっているように見受けられた。3日間の流通が可能になったことで、駅や空港などをはじめ、名古屋市内各所での販売を行っている。そこに至った考え方は「職人気質」の「見える化」。醸造研究の経験から酒饅頭の発酵を数値管理し、製造に携わる社員に伝承していく。「勘所」の体得を否定するものではないが、現在の人材育成に於いては数値化されたマニュアルにより、迅速な製造現場の管理も重要であると考えている。

上生菓子 また、康博氏は組合活動にも積極的に参加している。現在は名古屋生菓子工業協同組合でご活躍であるが、全菓連青年部中部ブロック創設の際は、私たちの知るチャーターメンバーの諸先輩に対し、地域性や各々の青年部会の意志、目論見を考察しながら、的確なアドバイスをするなど、設立に尽力した。

 このように、生業に対する飽くなき探求心、課題を見出す力、改善に次ぐ改善を行い、自店、そして業界団体をけん引していく姿勢、意志はしっかりと5代目の健一朗氏にも伝承されている。

 健一朗氏は名古屋生菓子工業協同組合青年会に所属し、現在理事に就任し活動に取り組んでいる。その担当する事業は、担い手の育成に端を発し、街の歴史と和菓子の融合を行い、お客様に菓子を通した地域文化を伝えていくという内容。

 名古屋の方言で久しぶりを意味する「やっとかめ(八十日目)」を冠する「やっとかめ文化祭(2015年10月30日~11月23日開催)」に於いては、伝統×現代をテーマとし、様々な文化、芸術分野を街なかで開催する。その期間中、11月14日に和菓子作り体験を行い、世代を問わず広くアピールしていきたいと語る。同時に、組合の共催事業としてやっとかめ文化祭の開催期間に併せ「和菓子でめぐる尾張名所図会」と称すイベントも企画。これは、江戸時代の観光ガイドブック「尾張名所図会」にちなんだ其々の地域を表す特別なお菓子を同協同組合青年会に所属する店舗で製造。お求めのお客様には、名所図会にある浮世絵を髣髴する図会絵にデジタルリメイクで着色されたポストカードを進呈。菓子と地域文化双方の発信を行う企画意図が伺える。まさに食文化の担い手にしかできない事業である。

4代目の中島康博氏と5代目の健一朗氏 健一朗氏の今回の活動に取り組む発端は、菓子処尾張名古屋の地に於いても組合員数の減少という一面があるようだ。実際、納屋橋饅頭万松庵がある地域も、ほんの数年前まではシャッター通り商店街であったが、古くからある商店、地権者と時間をかけて話し合い、商店街会費の大幅な増額を図るという逆転の発想を以て、見事復活。そのような経験も踏まえ、お菓子を通して、街の歴史~地域文化すべてを発信するという企画に繋がったと話す。

 納屋橋饅頭の4代目、5代目共に伝統を守るために、新たな革新的行動を起こす気概を感じた。老舗とは変化を恐れず、絶えず改革に取り組み時代のニーズに対応し続けた結果であると話すお二人。今後も名古屋、愛知県のみならず、中部ブロック、如いては全国へと活動意思の伝播に貢献頂き、食の担い手である私たちの業界に一石を投じるオピニオンリーダーになっていただけるものと確信めいた期待を感じた。

 全菓連青年部中部ブロック長・村中洋祐

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