中嶋神社四国分社の敷地に橘の苗木を植える
昭和32年3月11日、四国の菓子業者によって、中嶋神社四国分社が建立され、毎年5月19日と11月19日に大祭を行っています。
日本書紀によると、垂仁天皇の御代に、田道間守命は海を越え、神饌秘境の常世の国に行き、永命の実といわれる非時香菓(ときじくのかぐのみ)を持ち帰りましたが、すでに出発してから10年の歳月が経っており、天皇はすでに崩御されていました。
命は、天皇の御陵に非時香菓を献じて、悲しみのあまり亡くなられました。
その後、景行天皇が田道間守命を哀れみ、先帝の陵側に葬られました。
その命の墓が垂仁天皇の御陵のお池の中に作られ中ノ島のように浮かんでいるところから中嶋神社と名付けられたと言われています。
非時香菓は「ときじくのかぐのみ」と読みますが、ときじくは時を選ばずの意で、かぐのみは香り高い果実の意味で柑橘類の一種です。今は橘を密柑の原木とされています。その果実は花も香り高く、常磐なす銘木として、紫宸殿の御苑に桜と共に植えられております。
その後も、田道間守命が持ち帰った非時香菓をお菓子の始まりとして崇められています。
昔、文部省唱歌にもあったと言われている田道間守の歌に、
♪香りも高い橘を積んだお船がいま帰る、遠い国から積んできた花橘の香とともに~と歌われていたほど、田道間守命は有名です。
その橘の苗木を、中嶋神社四国分社の敷地に植えようとの話が出て、愛媛県菓子工業組合の松山の役員で、土を掘り苗床を作りました。
写真は、苗床が出来るまで、橘の苗木を立てて皆で記念撮影をしたところです。
四国分社の本殿も、老朽化が進んでおり、所々直しながら維持しております。
菓子組合も少子高齢化の波が押し寄せ、組合員も減少の一途を辿っていますが、若い方にもこういったお菓子の歴史に思いを馳せ、歴史ある日本の和菓子を後世に伝えていってほしいと思っています。
(中嶋神社の云われは伊狩前理事長の投稿文を引用させていただきました)
愛媛県菓子工業組合広報部長・白石恵一