袖振り合うも多生の縁
従業員やパートさんを大切に
江戸時代の末期に、武蔵野の国と言いますから、今の八王子市のあたりに、勝五郎という少年がいました。文政5年、当時8歳だった勝五郎は姉のふさと田んぼで遊んでいた時に「姉ちゃんはここに生まれてくる前は、どこの誰の子供だったの?」とふさに聞くので「そんなことわかるわけないでしょ、お前はそれを覚えているとでもいうの?」と言うと「覚えているよ、俺は程久保村の久兵衛さんの子供で、その時は藤蔵という名前だったんだよ、おっかあの名前はおしづさんと言ったんだよ、でも俺が小さい頃に久兵衛さんが死んで、半四郎という人が来て、新しいおっとうになって可愛がってくれたんだけど、俺は6歳の時に病気で死んだんだよ。そして、ここに生まれてきたんだよ」
その話があまりに詳しいので、ある時祖母が勝五郎を連れて程久保村を訪ねると、初めて来たところなのに、すたすた歩いて「この家だよ」と言って先に入って行った。祖母が家の主人の名を聞くと、半四郎だといった。妻の名を聞くとしづだと言った。
勝五郎の祖母が理由を話すと、半四郎としづは最初は信じられなかったが、最後は涙にくれ「よく見ると亡くなった藤蔵が6歳の頃によく似ている」と言った。
勝五郎は、向かいの家を指さして「前はあの家はなかった。あの木もあそこにはなかった」といった。みんなそのとおりだった。この話は、すべて実話で、国学者の平田篤胤が「勝五郎再生記聞」として聞き書きしています。
昔から「袖振り合うも多生の縁」といいますが、これは、そこらへんを歩いていて袖が触れるくらいの人であっても多少なりとも縁があるんだという意味ではなくて、今まで何度も生まれ変わりを繰り返してきた、多くの人生、つまり前世でも縁のあった人だという意味です。
われわれ菓子屋の商売でも、店を大きくしたり、売上を増やしたりすることばかりに汲々とするあまり、奥さんを怒鳴ったり、従業員やパートさんを叱り飛ばしたりしがちになることもあるかもしれませんが、本当は家族や従業員、パートさんこそが、今まで何度も生まれ変わりを繰り返してきた多くの人生の中で、深い御縁のあった方で、その方の人生の大事な時間の多くを、自分の店のために使ってくれているあり難い人だということを忘れてはならないと思います。
最近、ブラック企業、ブラックバイトなどという言葉をよく聞きますが、店の大小はあれ、せっかく人を使って商売をやる以上、従業員やパートさんに「自分の人生、ここの菓子屋で働くことが出来て良かった」と言ってもらえるような、そんな商売を心掛けたいと思っています。
愛媛県菓子工業組合副理事長・白石恵一