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組合外史 盛立会のこと

明治~昭和初期 大阪の菓子業界を牽引

「盛立會」と書かれた景品箱 明治の半ば頃その会は産まれました。盛立会と言う実益組織です。公益を中心目的に据えた組合は、日本各地においても誕生し、廃止され、再編されを繰り返して現在に至っていますが、実益を中心目的に据えた組織は珍しいと思います。

 大阪における菓子屋に関連する同業組織の記録は多くはありません。古くは土御門家による「大掾」「小掾」と言った官位受領があり、例えば鶴屋八幡の前身である虎屋伊織は虎屋大和大掾藤原伊織と言う官位を受領しています。そして文献により確認できるものでは、安政五年八月に「大阪菓子仲間組合」と言う公益組合が設立され、申合規約及び総代・取締を定めています。

 しかし、明治五年にはそれらの組合が新政府の命で廃止されました。以降、陳情を重ねて明治七年三月に「大阪菓子商組合」が設立され、同時期に準則組合として「雑菓子商組合」「餅饅頭商組合」「砂糖漬物商組合」も設立されました。ところが、贅沢品と見なされた菓子に対して、明治十八年七月一日に菓子税則が布告され、菓子業界は全国的に打撃を被りました。特に大阪での運用は殊の外厳しく、多くの廃業者が出たと記録にあります。そのような事から、同九月にはいち早く廃止運動も起こり、その運動が全国に広がり、十一年の歳月を経て同二十九年二月に廃止されるに至りました。

 菓子屋にとってそのような厳しい情勢の中、江戸時代後期から菓子関連業者が集まっていた大阪の松屋町では、卸売業者が勢力を強めて行きました。それに対して危機感を抱いた雑菓子屋など、製造卸が主体であった業者に三結社が生まれ、さらにそれらに大同団結の機運が生まれ、同二十四年四月に盛立会が結成されました。これによって卸売業者主導から製造業者も物を申せる環境が生まれ、昭和八年の松屋町筋拡張工事により、多数の業者が移転を余儀なくされた事により発展的解消に至りました。この盛立会が隆盛な頃には様々な販促活動がされていたようで、小売業者に対して様々な景品を提供していたようです。戦後、豊下に嫁して来た母の実家の親戚に、菓子小売業を営んでいた檜原と言う家があり、その蔵に「會立盛」「賞懸」「原檜」「住吉山」と書かれた景品箱があり、それを貰い受けたものです。(参考画像)

 その切掛は母方の祖父の葬儀で、わたくしの曽祖父が何代目かの盛立会会長を務めていたと話したことによります。業界にとっても貴重な資料であると思われますので、ご披露申し上げる次第です。

 大阪府菓子工業組合副理事長・豊下正良

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