各地の菓子店探訪
東京都菓子店の投稿

㈱ワタトー

永年の節目と新生

五家宝の製造 青年部、関東甲信越ブロック長として、初めての記事はこの社長の会社と決めておりました。

 「五家宝」おこし種を水あめなどで固め棒状にした芯を、きな粉に水あめなど混ぜた皮を巻き、さらにきな粉を表面にまぶしたお菓子です。そのお菓子の歴史は、太田南畝の随筆「奴凧」にて、安永6年(1777年)に「日光参拝の道中に食べた『五荷棒』と比べ、今年(1820年)もらった秩父の『五かぼう』は形が大きくおこし米で出来ている」という記載がある様に1800年代の江戸時代にはある関東の銘菓です。

 現在では埼玉県熊谷市の銘菓と知られるお菓子を、東京で唯一製造する専門メーカーである「株式会社ワタトー」の代表取締役社長の渡辺将結氏(45歳)にお話を聞きました。

五家宝・ひねり・あんこ玉 大正十年(1921年)渡辺藤作氏により創業(初代ご姓名より渡と藤の二文字から「渡藤」という屋号にした。)将結氏は、本年創業百年の四代目の社長である。創業当初、日本橋にて、豆菓子の製造から始まり昭和初期に両国に移り、埼玉県熊谷から職人を呼び五家宝の製造を始めました。当時、五家宝メーカーも東京に24社ありましたが、廃業、他種菓子への改業や移転などで今日に至り東京で唯一の五家宝メーカーとなりました。

 社長個人は、先輩にも後輩にも遠慮なく質問する羨ましい性格で、前職(美容系)から27歳の時に入社、趣味はサーフィン。因みに剣道三段と武道家の一面もあります。(同社会長(お父上)も足立区で剣道を指導されております。)武道家でもある、お家柄から礼儀も重んじられる人格者で、東京都菓子メーカーの独立組織である「東京菓業青年会」の副会長を四期務められています。

 その様なご一族でも、多分に漏れず衝突がありました。2014年将結氏が社長に就任された前後、売上低下にもかかわらず本社工場の建て替えや機材の入れ替えなどが発端でお父上と数年に及び確執があったと言います。しかし、今は「父が同じ様に苦労し成し遂げ、次に伝えたいとの思いが分かり、恥ずかしいけど歩み寄っている」と話されておりました。7年の月日で社長としても成長された証だと思います。

 艱難辛苦の末に、ようやく自分色を出せる体制を築いた時、「コロナ」が発生しました。これまでの売場(浅草仲見世などや駅の売店などお土産売場)は壊滅状態、食品スーパー等の売場やPBがあり業務を繋げましたが、売上は過去に無いほど激減しました。

 将結社長は、コロナ禍にて減少した売上の回復と百周年の記念事業として、新たなブランディングを企画されました。またコロナ禍により従業員のシフトの見直しを余儀なくされた事で、社長自らがこれまで以上に製造現場に入ると決断されたそうです。そこでは、工程ごとの動線を確認出来た事によって、機材を移動すれば新たなブランドの為のスペースが確保出来、出費が抑えられる事に気づかれ即実行されました。

 挑戦のブランド【KINAKO SWEETS FACTORY】今までの主力商品、「五家宝」や「ひねり」、「あんこ玉」を基にこれまでのこだわりを、より増して手作業でしか作れないお菓子、原料は、極力国産(チョコなどの一部原料を除き)塩は東京産、さらに、きな粉は同社の隣のきな粉メーカーと協議し、市販より深煎り(香り立つ)きな粉と、煎る時間が短い(水分値が高く甘みがある)きな粉をブレンドする事により、これまでの五家宝の枠を飛び越え、和と洋が双方並び立つお菓子を作り上げました。

 コロナ禍を節目として、今までのPB、OEM中心では成しえなかった無理をブランディングにより解消、さらに製造スペースの無駄を改善し、100年続く企業で親子にて知恵を出し合える事でムラも解消出来た。将結社長の「気を見るに敏・事を決するに断」姿勢が実を結んだ、これからも成長を続ける菓子メーカーだと思います。

 全菓連青年部関東甲信越ブロック長・生田剛

店舗データ

株式会社 ワタトー
東京都足立区東保木間2-18-9
TEL.03-3883-3209
直売所 8時~18時(土日祝休み)
HP https://watato.net/