地元に愛される菓子作り
菓子の力で笑顔を作る
私は、生まれも育ちも、現在の場所(福井県越前町(旧朝日町)西田中です。生まれた時からお菓子屋で、幼少の時からこの家業を継ぐ事しか頭に無かったように思います。ただ単に他の仕事の事を知らなかっただけの、「子は親の背中を見て育つ」と、絵に描いたような子供だった様な気もします。(笑)
弊社は私の祖父、初代河﨑弥左エ門が、昭和5年5月に創業致しました。「銘菓田舎まんじゅう」は初代が独創し、今でも弊社では一番人気の商品であります。
私の祖父は、福井市の出身です。当時の西田中は活気があり魅力的で「やるならこの町だ!」と、今現在の場所で創業したと聞いております。
私の父、二代目河﨑忠は、最初は洋菓子職人で、初代が他界してから和菓子に転職し、ある意味、非常に苦労をした父でございました。その父が創作したのが「銘菓幸若最中」です。二代目の父は、この町の発展の為、この地にゆかりのある銘菓を創りたいという思いで、役場に足を運び、「何かないか?」と何度も足を運び、聞きに行ってはヒントを得て創作したと聞いております。その当時の私は、何も考えてない、ただの馬鹿息子だったと思います。(笑)
そして、私はと申しますと、地元の高校を卒業後、日本菓子専門学校(日菓専)に入学し卒業後、名店「菓匠京山」佐々木勝氏の元で3年間、師事させていただき現在に至っております。
初代、二代目、二人共がこの地域に根ざし、地元から愛される美味しい菓子を作る事が一番社会に尽くすことだという想いがあったと思います。その想いからか、創業当時は、20店舗程あった菓子屋も現在では(旧朝日町地区)では、最後の1店舗になりました。地元では「ふうげっつぁさん、ふうげっつぁさん」と、皆さんから親しまれながら呼ばれております(笑)。
私も当然ながらその想いを引継いでいるつもりでいます。さらにその想いを息子である四代目にバトンタッチをしていかなければならないと考えております。また、私の中では今でも「この世の人が食べた事のない美味しい菓子作り」という気持ちもあります。まだ完成しておりません(笑)が、その夢と共に、菓子には人々を笑顔にする力があると心より信じております。今、コロナ禍や心無い戦争で世の中は大変な事になっております。一人でも多くの方々に菓子の力で笑顔を作れるようこれからも努力をし、また1日も早く皆様の笑顔が絶えない元の日常が戻る事を心より祈念しております。
最後までご高覧いただきありがとうございました。
福井県菓子工業組合丹生支部組合長・河﨑淳一(朝日風月堂三代目)