御菓子司 しぼりや
菓子作りと生活、アナログ的もいい
1970年代前半フォークソング全盛期の赤い鳥というグループの「紙ふうせん」という歌の一節です。「翼をください」は有名ですね。後年、紙ふうせんとハイファイセットに別れたグループです。
当時高校生だった私はファンで、今でも店内にコンサート時の、自分で撮影、現像、引き伸ばしたパネルを飾っています。デジタル世代の読者にはなんのことかお解りにならないと思いますが。
その頃は菓子屋を継ぐ気など、みじんもなく、1977年には某光学系事務機器メーカーに就職、その後、営業マンとして、鹿児島営業所に勤務をしていました。1981年に、父が体調を崩し、家業を継ぎました。その後、2016年4月の熊本地震で全壊の被災を被り、何とか再開にこぎつけた矢先、ある音楽鑑賞団体の方が、約50年ぶりに事務局の引っ越しの際、当時私が事務局に飾っていた、先述のパネルを返しに来られました。
その前、1990年頃に当店の菓子詰め合わせを企画するときに、箱に少しのお茶と紙ふうせんを同梱するようにしていました。その栞(しおり)の末尾に以下の詩を書いています。
落ちてきたら、今度はもっと高く、もっともっと高く、何度でも打ち上げよう、美しい願いごとのように。黒田三郎詩集「もっと高く」より
最近、地震の被災を免れたアナログレコードプレーヤーを再生しました。古いレコードを取り出してみると、加山雄三、小椋佳、タモリ等々。極めつけは、高倉健「網走番外地」おまけに「映画エマニエル夫人のテーマ曲」⁈。でも、赤い鳥のLPは毎日聞いています。キズもありCDほどの澄みきった音ではないですが、不思議とキズの雑音さえ、愛おしく感じますし、アラ古希の菓子屋の親父の初恋の思い出などが甦ってきます。そういえば、私の腕時計は手巻き時計、店にも一週間に一度ねじを巻く明治の掛け時計、やはり私はアナログに縁がある生活をしています。菓子作りも生活もアナログもなかなか、「おつ」であると思います。
地震から6年、災いを転じて福となす、ことなどと言うには、まだまだですが、落ちてきたら今度はもっと高く打ち上げる努力をしていきたいと思っています。拙文、読了感謝です。
御菓子司しぼりや 店主・岩原和哉