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第6回全菓連青年部交流会を開催

全国菓子工業組合連合会青年部交流会 第6回全国菓子工業組合連合会青年部交流会は、2月16日、名古屋市中区栄の中日パレス及び三重県営サンアリーナで開催され、青年部員62名が参加した。同会では、名古屋で式典を挙行し、翌日は、伊勢市の菓子博の会場外周と施設内部を視察、実行委員会との意見交換会も行われた。その後、伊勢神宮を参拝し、菓子博成功を祈願した。

 式典では、全菓連青年部槌谷部長より「交流会は、綱領の親睦と融和を図りという言葉にちなんでおり、今回の席は各地域混在とし、互いに交流を持ち信頼関係を築くことを目的としています。お菓子屋という感動を提供する仕事を与えられた私たちが、まずは我々が感動を共有しなければなりません。エクスカーションでは、全菓博の会場視察、意見交流会、伊勢神宮での参拝を行い、全菓博を成功に導く第一歩としてスタートアップと位置付けています」と挨拶があった。次に、大窪理事長より「第27回全国菓子大博覧会・三重〝お伊勢さん菓子博〟は、前回までの褒賞審査を見直し、消費者等による審査を導入し、また、新しい販売の形式を、検討しております。これまでの慣習にとらわれることなく、その若い力と発想をいかんなく発揮して頂きたい」、久村副理事長より「前回と同じ事をやれば楽であるが、それでは発展しないので若い力で変えていってもらいたい。前回の広島菓子博では、展示スペースの業者をコンペしたら半額ぐらいになり、見た目も遜色ない仕上がりでした。何か一つステップを踏み変えて行かないと変わらないので、青年部の若い力をもって変えて行ってもらいたい」と挨拶があった。

 次に、三重県菓子工業組合青年部早川賢部長より「愛称が〝お伊勢さん菓子博2017〟、マスコットキャラクターが〝いせわんこ〟、PR大使は女子レスリングの吉田沙保里さんに決定されました。青年部としてシンボル展示菓子を、全く新しい手法・見方で構想を練り進めている状況です」と、全菓博の概要・進捗状況の説明があった。

 翌日のエクスカーションは、バスで伊勢市を訪問した。三重県営サンアリーナ到着後、三重県菓子工業組合岡理事長より「この場所で1年2か月後に菓子博を開催する。全国の皆様の協力を得ながら、成功裏に収めて次にバトンを渡していきたい。厳しい状況の中、100年以上続いた菓子博を引き継ぐことによって、菓子業界が元気であることを日本全体、世界に広げていくという意味でも繋げてほしい。青年部の若い世代へ、ピカピカに磨いたバトンとして引き継いでいく」との挨拶があった。その後、濱田実行委員長の案内で、会場の外周と内部の視察をした。国際会議場では青年部と実行員会とで意見交換会を行い、伊勢神宮では、菓子博成功を祈願して正式参拝した。

三重県営サンアリーナ(菓子博会場)の説明

三重県営サンアリーナメインアリーナ○サミットに向けて
 三重県営サンアリーナ周辺には、敷地が約10㌶ある。5月に開催される伊勢志摩サミットのメディアセンターになる。今、伊勢志摩はサミット前で大変盛り上がっている。現在、メディアセンターの増設棟を建築しており、飲食関係と三重県の物産展の施設を設置する。三重県の情報発信スペースも設置するので、1年後にある菓子の最大イベントである菓子博を、世界へ発信する宣伝に、と県に依頼している。増設棟の総工費は24億円で、サミット終了後に立て壊す。

○周辺の状況
 伊勢・志摩は観光地として有名で、近くの鳥羽と志摩にホテルや旅館があり、菓子博で大勢の人が来ても受け入れられる。敷地内には、人工芝のサッカー場が4面、天然芝が1面と5面あり、普段スポーツやレクレーションに使用される。菓子博の期間中はこれらのサッカー場も使用する。周辺の土地は工業団地として20年位放置されていた。しかし、標高28mあるので、東南海地震の際に低地が浸水する被害想定に対応するため、海辺の工場・倉庫などが引っ越し、ここ数年の間に完売された。
 また、高速道路は伊勢市で終わりとなり、鳥羽市へは有料道路となっているが、菓子博開催を機に知事の英断で、無料化される。

○メインアリーナ
 メインアリーナは、公称1万1千人の収容人数があり、いままで最多の来客数は、地元出身の歌手のコンサートで8千7百人であった。県も予算をかけていたので、床材はきれいで立派である。メインアリーナに各県のお菓子が展示される。広さは3千5百平米あり、菓子博では、固定席を上から展示を見ながら飲食ができる休息場所として使用をする。三重県では一番広い施設であり、バスケットボールやバレーボールは4面とれる。正面には300インチの大型映像装置があり、様々な映像を流すことができる。サミット期間中はメディアセンターとしてのメイン会場になり、放送スタジオが設営される。

○サブアリーナ
 サブアリーナは工芸菓子の展示スペースになる。固定席へも入れるので、上からも展示を見ることができる。広さは1750平米で、メインアリーナの丁度半分の広さになる。バスケットボールなら2面とれる。固定席は本来、飲食禁止だが、菓子博期間中は、飲食可能な休憩所として利用される。

○会議室
 三重県営サンアリーナは、平成6年の国際祝祭博覧会のために造成された。国際会議室は、世界から賓客を呼ぶ際に、通訳が同時翻訳をする場所と機能を持っている。伊勢は、土地柄皇室関係の方が来られるので、お休みいただける貴賓室をもある。他にも会議室が複数あり、各種会議に対応できる。築21年経っているが、建物内外をサミットに向けて改装・修繕中であり、きれいになった後、菓子博の会場として使用できる。

意見交換会

 意見交換会では濱田実行委員長より、以下の通り説明があった。

 県は予算をかけて会場を急ピッチで改装をしており、一番良いタイミングで菓子博を開催できる。500日前イベントでは公式キャラクター"いせわんこ"が発表された。体が悪くてお伊勢参りいけない飼い主の代わりに、犬が行って、お札を持って帰ってきた「おかげ犬」という話がある。それにちなみ、今回のキャラクターを千葉県のデザイナーが作成した。PR大使には、お菓子禁止令が出たくらいお菓子好きな三重県津市出身の、レスリング選手・吉田沙保里氏を起用した。4月23日、1年前イベントを名古屋市金山駅前・アスナル金山のイベントスペースで行う。今回の菓子博のPR部隊であるおまねき隊やイメージソングを発表し、チケットの販売を開始する。また、これまでの姫路、広島は大きな都市での開催であり、近隣のお客が多かったが、伊勢・志摩は観光地なので、旅行会社とタイアップして、全国からお伊勢参りと菓子博という形のパッケージで売っていきたい。サミットで海外にも発信されるので、海外からのお客様も日本のお菓子を知っていただけるように、旅行会社と相談している。

 また、過去の菓子博は品評会で、販売に注力していなかったが、お客様から全国のお菓子が集まる機会に、是非買って持って帰りたいという声が強くなっている。広島と姫路の時は、販売を行い、大きな売り上げを出したブロックもある。お菓子が売れて初めて商売になるので、そのような仕組みを作りたい。遠方からお菓子を送るのは大変だが、物流事情は良くなっており、ある運送会社では夕方にお店から商品を集めて、夜間に移動し、翌朝会場に届けることができるスピード感のある物流システムを構築中で、来年の4月に完成する予定である。つまり、前日の夕方の集荷に間に合えば、翌日は会場にお菓子を並べることができるので、販売に心強い味方ができる。この仕組みを使い、皆様にとっても商売として成果を上げることができるよう検討している。

 イオングループも菓子博に興味を持っている。イオンはもともと岡田屋として、三重県四日市で誕生したのがルーツで、サミットを機に、春から1年間かけて全国に三重県フェアを展開する。その中で、菓子博覧会の情報発信と全国のお菓子の販売をして盛り上げていこうと、賛同している。

 伊勢は周りに名古屋、大阪、京都という大きな都市圏があるので、皆さんと一緒にPRしたい。

 続いて、水口事務局長から以下の通り説明があった。

 10 haの敷地に、2千平米の大型パビリオンを設置し、お菓子の販売を行う。見る、知る、食べるそして買うをキーワードに、お伊勢さん菓子博を成功させたい。ぜひ皆様方の地域の銘菓を伊勢に大集合して、お買い上げいただく設えをしたい。今後、各ブロックの総会が行われると思うが、その際、会場図面やイメージパースなどの詳細資料を提供したい。三重の大会から、これまでの伝統を守りながら、新たな菓子博覧会にしていこうを合言葉に、全国の方と相談をしている。各県菓子工業組合にも、メリットがある仕組みを作りたい。

伊勢神宮についての説明より

伊勢神宮宇治橋前 外宮は左側通行になっているが、内宮は右側通行である。

 江戸時代には、民家や店などが内宮の神域内に多くあったため、火事で延焼しても広がらないように火除橋が設けられた。現在では整備され民家等は無いが、その名残で火除橋が残っている。式年遷宮では火除橋も架け替えられる。

 手水舎もあるが、五十鈴川が流れており、本来はこちらで手と口を清める。鈴が鳴るようなサラサラという音が聞こえるというのが、川の名前の由来と言われている。

 荒祭宮という別宮があり、政治家なら選挙のとき、企業家では商売を行う方が参拝される。行在所は、天皇陛下など皇族の方々が泊まられるところである。中は驚くほど質素である。

 五十鈴川の上流は伊勢神宮の所有で、5百haの敷地を全て管理し、営林のプロが手を入れている。昔は遷宮の際、周りの山々から木材を調達していたが、今は、岐阜県や長野県からしている。神宮では大正時代から2百年計画で、周りの山々から木材を切り出して、遷宮に使う計画を立てている。実現は約70年後になるので、当面は他県からの木材に頼らざるを得ない。もともと神領であり、伊勢の人は木を切り、神宮に収めるのが税金の代わりになっていた。昔は木材も地元の人間が曳いて収めていた。

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