亀甲や
鳥取で一番の暖簾を持つ店
10年に1度の大寒波と言われた1月末。鳥取県の菓子店で一番の歴史を持つ青年部次期中四国ブロック長の小谷直大さんが社長を務める「亀甲や」を訪ねました。会長の小谷治郎平さんは長く全菓連の役員をされているので皆様よく知る方です。
まずは歴史から、創業は1868年5月。元々は1632年に鳥取藩主となった池田光仲公の国替えに従い岡山県の亀甲という地から鳥取に移住した染め物屋でした。その9代目の次男が亀甲形の種であんを挟んだ「亀甲もなか」の製造を始めたことが、和菓子屋の始まりで、155年を迎えた今も変わらない味です。
他にも亀甲やと言えば「二十世紀」。輪切りにした梨をイメージした翁飴(乾燥ゼリー)のお菓子です。これは黒斑病が大流行し、危機的な状況にあった二十世紀梨の生産者を応援するために大正11年に作られました。梨のゼリーに抱く愛らしい印象は100年経っても変わらず、最近、咀嚼する動画がネットで拡散され、知らないところでちょっとしたブームになっていました。何があるかわからないから菓子屋はおもしろいと言います。さらに鳥取ブランケーキ。ふるさとを知ってほしいとパッケージに描かれているのは鳥取の玩具や名産品で、お手頃な価格とブランデーがほんのり薫る味も手伝って店頭で存在感を放ちます。
さて、過去に最大の危機はあったのかと聞きますと、昭和27年の鳥取大火で店が焼失してしまったことと昭和50年に工場が全焼してしまったことを挙げられました。鳥取大火では直大さんの写真の後ろに写る大正4年の看板を命からがら持ち出したとか。また先祖代々の申し伝えがあるのかとの問いには菓子屋として当たり前の、おいしいものを誠実に、のほか「保証人にならない、判子を押さない」「染め物屋から菓子屋に転じたことから、家名存続のための業種転換は考えておくこと」。長く続くには大切だと納得されています。
治郎平さんの一番の思い出は鳥取市が平成元年に市制施行100周年記念事業として開催した「89’鳥取・世界おもちゃ博覧会」の実行委員長をされたこと。その功績は鳥取市に平成7年7月7日に開館した童謡・唱歌とおもちゃのミュージアム、わらべ館に引き継がれています。偉大な父はこのように本業以外でも地域に貢献されていますが、直大さんは菓子屋が減少していくことを不安に思い、青年部の存在意義について仲間を作り勉強していきたいとのこと。
この二人を前に、事業承継の秘訣や歴史ある店を守るための心掛けなど聞こう!といった気負いは皇族のような穏やかな会話とほほえみで言葉にしなくとも雰囲気で消えました。お二人とも東京の超難関私大を卒業後、菓子の専門学校に行かれたという経歴をお持ちです。最後にちょっと意地悪な質問をしました。菓子屋の跡取りじゃなかったらやりたい仕事があったのでは?どちらも「子どもの頃から手伝いがあたりまえで菓子屋を継ぐことしか考えられなかった」とのことです。コロナ最初の年に少しの赤字を出してしまったけれど、それ以前もそれ以降も持ち直し、黒字が続いているそうです。経営基盤がしっかりしていること、親子と兄弟の仲が良いこと、地域に人脈があること、これが秘訣かもしれません。
創業150年を機に直大さんが社長となり、会長が代々続く治郎平を襲名しました。鳥取になくてはならない銘菓が永遠に続くことを確信し、美しい雪景色を見ながら帰路に着きました。
中四国ブロック長・恒松恵子
店舗データ
亀甲や
鳥取県鳥取市片原2-116
Tel 0857-23-7021