各地の菓子店探訪
東京都菓子店の投稿

中谷製菓の「かりんとう」のはじめの一歩

かりんとう

 今回、会社の記事を書いて欲しいとの依頼を頂き、もう一度原点を見直そうと思った時に父が祖父について書いたこの文章を思い出しました。

 故郷信州穂高村の大先輩であり、研成義塾の創設者相馬愛蔵氏(中村屋創業者)を師として慕っていた塾生の中谷広門は、17歳で中村屋に入店し、パン部に配属された。

 信州で相馬氏が提唱していた"禁酒会"にも入っていた中谷は、真面目で仕事一筋だったので、大旦那愛蔵氏、黒光夫人からも大変信用を得ていた。

 在職5年目の中谷はパンの職長として、パンの製造に明け暮れていた。そんな或る日、中谷は大旦那様に「新しい"かりんとう"の製造をやってみたい」と相談した所、こうした相談にはいつも慎重な姿勢の相馬氏が、黒光夫人とも相談されたのだろう、熟慮の上、「それなら研究して最上等の"これなら"というものを作って持ってくるように…」ということになった。中谷は、中村屋での仕事が終わると自宅へ飛んで帰り、夫婦揃って寝る間も惜しみ、パンの発酵技術を生かし、サクッとした歯触りと口どけの良い生地を作り上げた。気が付くと1年が経っていたそうです。

 また、味付けは贅を尽くしたものではなく、自然な作物である沖縄の黒砂糖で味付けした所、油で揚げた生地に合った極上のかりんとうが出来たので、早速大旦那様にご試食をお願いした。大旦那様はじっくりと試食された後、「良く出来たかりんとうだ。名物になるだろう。中村屋で販売するから最上級のかりんとうを作るよう心掛けなさい」と激励されたそうです。

 それから祖父は独立し、100年余りかりんとうの専業メーカーとして、かりんとうを作り続けております。今後も高い志を持ち続け、4代目へと引き継いでまいります。

 東京都菓子工業組合 副理事長・中谷製菓株式会社代表取締役社長
中谷光基