「栗煎餅」(松月堂)
主力商品の歴史を知る
初めまして、株式会社松月堂の保坂昌史といいます。よろしくお願いいたします。今回、菓子工業新聞の記事の依頼を頂きまして、記事を考えた中であえて自社の主力商品である、「栗煎餅」について、掘り下げて書いてみようかと思います。私が聞きかじったことも含まれていますので、その点はご了承ください。
栗煎餅ですが御客様に「栗の原産地でもないのになぜ栗煎餅なのですか」と聞かれることがあります。「栗煎餅」は昭和の初め頃、静岡県の沼津市にある「ほさか」の初代と親戚筋にあたる当時の初代である私の祖父が協力し作り始めたと言われております。「栗煎餅」は白餡が主原料の甘味煎餅なので、ルーツは味噌煎餅から派生したものかもしれませんが、なぜ栗の形になったのか、一説には甲州八珍中に栗があって、食べ口も栗の味がするからとも言われていますが、定かではありません。ただ現在の用な栗の形になったのは、この時期らしく「新和菓子体系」にも静岡伊豆地方で作られていたと記載がされています。静岡の「ほさか」で作られその製法が伊豆地方に広がっていったと思われます。ただ妙なことに製品の意匠登録は戦後の混乱の中焼失してしまいましたが、当社が有していたようであり、記載がある書籍や看板などの資料などが残っており、そこから「栗煎餅」のルーツを推測することが出来ます。
初期の「栗煎餅」は手焼きで、職人が一枚一枚丁寧に焼き上げておりました。その為、生産量が限られており高級なものでした。その後、時代は戦後高度成長下の時代に入り、「栗煎餅」の生産量も増やす必要がでてきた中で、自動機械化を初めて行なったのは当社の2代目である私の父が、苦労しながら機械製作会社と協力し、栗煎餅の自動機械化に成功しました。初代の機械は一社で作ることが出来ず、別会社の機械を組み合わせて作り上げたそうで、先代の苦労のほどがうかがえます。
このように続いてきた、「栗煎餅」ですが、過去に失われそうになった時期がありました。公正取引委員会より指摘が入り栗を主原料にしていないのに、「栗煎餅」というのは違反で、栗型煎餅に改名をするようにとの事でした。その際に落語家の永六輔さんが、「たい焼きに鯛が入っているかい?」という事を訴えてくれて、事なきを得たという逸話が残っております。
そんな時代の波を乗り越えてきた「栗煎餅」現在も主原料の入手が困難になり、卵も手に入りにくくなる等の時代の荒波にさらされています。だからこそ「温故知新」自社の製品をもう一度見つめなおし歴史を知り、生産工程などを見直し、そこから新たなる発展を進めていく、必要があると考えています。伝統継承し味を守るそれも大切ですが、そこからさらに時代に合わせて変化する。伝統文化の和菓子には大切なことではないかと、私は考えており、時代を見据えて「栗煎餅」を守っていきたいと考えております。
山梨県菓子工業組合青年部部長・㈱松月堂・保坂昌史