各地の菓子店探訪
東京都菓子店の投稿

昭和の頃の三矢製菓

お菓子のまわりには笑顔がある

レモネード

 私は、ラムネ菓子を製造しています三矢製菓株式会社の4代目、黒林將光と申します。
 三矢製菓株式会社は、昭和10年3月に、富山県高岡市出身の初代、黒林彦四郎が先に大阪で創業していた兄の会社、生駒製菓(現在はない)の東京工場として台東区下根岸にて創業しました。

 太平洋戦争が激しくなったために、砂糖などが入手出来ずに一時中断し、チョークなどを製造していたと言われています。ラムネとチョーク?って思いますが、たぶん工程が似ていたのでしょうね。

 戦後、営業を再開しましたが、その頃には大阪の生駒製菓は業態転換して石膏を扱う会社となり、東京工場は三矢製菓として独立し、荒川区尾久町に工場を移転しました。

オレンジサンピース

 その頃の販売先は、日暮里や蔵前の玩具問屋さんを通じて駄菓子屋さんに販売していましたが、当て物といった、くじ付きの菓子を買って当たるとより大きなラムネ菓子を貰えるものや、カレンダーのような台紙に貼り付けた小袋のお菓子一袋ずつに東海道の名所の図柄があり、旅行気分になれる等ストーリーがあったり、双六みたいに続けていくと一等賞!みたいにステージが上がるとか、固いラムネを作って碁石の代わりにしたりとか、なかなか凝ったアイデアのものであったため、とてもよく売れ、問屋さんが工場まで引き取りに来てくれていたという、今では考えられない商売をしていたようです。

 現在では、菓子問屋さんや食品問屋さんを通じてスーパーやドラッグストアなどが主な販売先となり、袋入りで棚に並ぶ商品がほとんどとなっています。

 小売店で売りやすい形態や価格、関連する法律を考えると袋物となることは当然なのですが、かっての駄菓子屋さんで売っていたころのことを考えると、私には今は何かが足りないような気がしてなりません。

野球あそび

 私は旅行が好きで、各国のお菓子もそれぞれ見て回っていますが、いろいろ目に留まるものがあります。ロンドンのデパートの地下でカンカン帽をかぶった店員さんが子供たちに大きな棒付きキャンディーを手渡している様や、ケルンの街角でシナモンのクッキーをワゴンで売っている様、ローマの新聞売りかお菓子屋さんかわからないテント、香港のタバコ屋さんのおつりのキャンディー、数え上げたらキリがありませんが、お菓子を渡す時には必ず笑顔があるような気がします。

 残念ながら会ったことはありませんが、きっと初代が考えていたことや私が各国見て回って感じたこと、お菓子というのは、食べるだけではなく、お菓子のまわりには笑顔があって、楽しい雰囲気がなければならないと思っています。今はまだ叶いませんが、私にも、そういったお菓子を作れるようになりたいと、日々努力していきたいと思っています。

 東京都菓子工業組合常務理事・黒林將光(三矢製菓㈱代表取締役)