荒川屋製菓舗
高クォリティの「洋菓子部門」
今回は刈谷市の「荒川屋製菓舗」さんを紹介させて頂きます。しかし今回も前回の洋菓子担当回同様に、本来は愛知県菓子工業組合に和菓子店登録ながら洋菓子店と同様以上の高いクォリティの「洋菓子部門」を紹介させていただきます。
創業は昭和23年で、現在は兄の荒川拓三さんが和菓子を、弟の荒川満さんが洋菓子を担当して営業されています。生ケーキは20数種類で、概ね400円台で販売されています。
売れ筋は「色々な分野、種類のケーキを作っていますが、昔からの『おやつ』のショートケーキやシュー、プリン、半熟チーズです」とのことで、主となる菓子がしっかりしているのでマグネット商品になり、他のお菓子も買い求められているのではと感じました。

ケースの中には、今話題の昭和懐かしの「たぬきケーキ」が目を引き、老舗なので古くから製造かと思いきや、ちゃっかり話題を取り入れて1年半前からの製造とのことです。
店頭の「お誕生日ボード」には多くの人の名前が書かれており、誕生日用のケーキも人気ですが、その多くが以前からのデコレーションケーキではなく車などの形の「デザインデコ」や、写真をお持ちいただいての「似顔絵デコ」が主流になっています。
焼菓子は10数種類で、特に車を模した「カーリアサブレ」や、「みるクルマ」がクルマの街らしいお土産として喜ばれています。
今でも毎日の味を変えないために、もしもの不具合の際の原因究明や、味の調整の原点となる基本中の基本「計量」を大切にして、生菓子は鮮度のよいうちに販売することを心がけて製造されています。

満さんは、高三の夏休みに「一ヵ月の北海道自転車旅行に行かせてくれたら菓子屋になる」の宣言通りに、昭和50年4月紹介された事業所の紹介という偶然で中村昭和氏(以降は言われていた「師匠」と表記)が経営する、当時は愛知県西春町にあった「プチ・アマンド」に修行に入られました。
お兄さんが和菓子に進んでおられたことや、バタークリームケーキが多かった子どもの頃に食べた生クリームケーキ(ショートケーキ)のおいしさが記憶に残っていて、洋菓子の道へ自然と進みました。
後に3店舗に急成長した修業先も、入った当時は長屋の貸店舗の狭い工場で、四六時中絶対的な師匠やしっかり者の奥様、厳しい先輩に囲まれてとても緊張していたそうです。しかし、細かく教えられることは少なかったが、ある程度は任せられる修行スタイルが合っていたそうです。
ただ、当時の朝8時半〜夜10時の長い営業時間で仕事がある程度片付いても、店番やお店の経費で好きなだけでしたがパイピングを含む様々な練習は、正直大変だと思ったそうですが、「今こうして製造全般ができるのも、包装〜接客の店番ができるのも、デザインデコを作ることができるのも、あの修行があったからで、みんな今につながっているんだよ」ととても感謝されています。
また、師匠の周りには同業者や業者の営業担当、友人・知人が多く集まり、新しい製品、材料等々の情報や次年度入店の依頼まで集まってくるのを目の当たりにした時、社会は「良い人間関係」で成り立っていると実感されたとのことです。
最後に、全国的、全産業的な問題である後継者についてお伺いすると、お兄さんの二人の息子さんが現在それぞれ和、洋菓子を一緒に担当されていて一安心とのことでした。和洋菓子両方の新たな荒川屋製菓舗さんのご健闘を心よりお祈りしております。
愛知県菓子工業組合・広報委員会