みやこ屋
おかげさまで創業60年

昭和39年秋、初代がこの大垣の地で商売を始めました。みやこ屋の屋号の由来は、水の都大垣とか、10代の頃京都のお菓子屋で働いていたからとか、そこからだそうです。今ではほぼ見ることのない、変体仮名の「こ」の字を使っています。
駄菓子やパンが主力だったので、近くの部活帰りの高校生のたまり場だったそうです。中学・高校の先生が、奥で泣いていた赤ん坊はおまえだったのかと、懐かしがられました。そんな商売も和菓子専門になっていくために、日銭の入る物を止めていく事は大きな決断だったそうです。

「四喜満堂」という看板商品があります。これを始めたことが少しずつ成長の先駆けになりました。この辺りで餅の入った最中は珍しく、大きさの割には食べやすいと主力商品になっていったそうです。それと共に、菓子屋として認められていきました。
しかし、城下町大垣にはたくさんの菓子屋さんがあります。私が修業を終え家業に入った時、この地で成長していくには、何をしていけばよいのか、とにかく多くの菓子店を見に行きました。そして、まずは一点突破でいこう!と、季節感を味わっていただくために、月替わりのお菓子を始めました。次に2ヶ月替わりのお菓子、歳時のお菓子と、おかげで楽しみにされるお客様が増えていきました。

この頃3店舗ありましたが、今後生き残っていくためには駐車場のある大型店に変えていかなくてはいけない、その時にどれだけ商品のボリュームを持てるか、どれだけ地域色を出していけるか、店が大垣市・羽島市・神戸町にあるので、屋号の頭に〝西美濃讃菓〟とつけました。「西美濃の風土をお菓子に描いて、地元の素材をいかしていきたい」と進めました。今では西美濃を語れる商品でギフトをつくれるようになりました。今年は、組合の事業をすすめた結果、念願の本店と本今店限定販売の大垣城菓「太古のあかし」を発売することができました。

「こ」の字を読めない世代になってきました。創業60年を機に変更していきます。ここまでこられたことをお客様・お取引下さる業者の皆さま・スタッフに感謝し、初代の先取りの精神、私の創意工夫の精神、そして数年後に帰ってくるであろう三代目の若い力で1年ずつ積み重ね、より一層、地域の方に喜ばれる店づくりに励んでいきます。
三代そろって写真を撮れたらいいなぁ!
岐阜県菓子工業組合・粕川康夫(みやこ屋)