各地の菓子店探訪
北海道菓子店の投稿

明治から令和へ、円山の地で紡ぐ 「菓子屋のバトン」

~炭鉱の活気、市川の修行、そして今思うこと~

店舗外観

 札幌・円山の麓で「米屋(よねや)」という小さな菓子屋を営んでおります。二年前、父から店を譲り受けました。代替わりをしてからというもの、伝統を守ることの難しさと、新しく挑戦することの楽しさの間で、試行錯誤の毎日を過ごしています。

 弊社のルーツを辿ると、今から百十年以上も前、明治四十三年(一九一〇年)にまで遡ります。もともとは「金長佐々木」という名で、羊蹄山の麓、京極町脇方という炭鉱の街で産声を上げました。当時は石炭産業が日本のエネルギーを支えていた時代。真っ黒になって働く炭鉱マンの方々にとって、仕事終わりの甘いお菓子は、明日への活力になる特別なご褒美だったと聞いています。その「働く人を元気にしたい」という純粋な気持ちが、私たちの商売の原点です。

 その後、縁あって札幌の円山に移り「米屋」となりましたが、私自身の職人としての根っこは、実は千葉県にあります。市川市の銘店「京山」で過ごした五年間です。名匠・佐々木勝先生のもと、右も左もわからぬまま飛び込んだ私を、先生は厳しくも温かく導いてくださいました。修行時代はとにかく必死でした。お菓子作りは科学のような正確さと、芸術のような感性の両方が必要です。京山で学んだのは、単なる技術だけではありません。「一菓入魂」、一つのお菓子にどれだけの心を込められるか。その職人としての「構え」を徹底的に叩き込まれました。今の私があるのは、あの市川での泥臭い日々があったからこそだと、遠く離れた札幌の地でしみじみと感じています。

 さて、私の家にはちょっとした「伝説」のような語り草があります。それはかつて札幌で菓子博が開催された時のこと。運営の裏方として奔走していた祖父は、あまりの熱心さに、なんと自分の店のお菓子を切らしてしまったというのです。お客さまが来ても売るものがない。「店のお菓子がなくても、菓子博を成功させなきゃならん」と笑っていたという祖父。その「業界全体を盛り上げたい」という無私な情熱は、今、私が青年部部長という大任を仰せつかっていることと、不思議な縁を感じずにはいられません。

どらやき

 そんな私たちが今、大切に作っているのが「どら焼」や「大福」です。このどら焼きのパッケージには、特別な思いが詰まっています。力強い筆文字で書かれた題字は、書道界の巨匠であり、父の恩師でもある中野北溟先生に揮毫いただいたものです。先生の書は、伝統の重みをしっかり受け止めながらも、そこから自由に羽ばたこうとする躍動感に溢れています。お店でこのどら焼きを並べるたび、私は父や祖父が繋いできた歴史、中野先生とのご縁、そして千葉での修行時代の風景を思い出します。一つのお菓子は、決して一人で作っているのではない。数えきれないほどの人たちの想いが重なって、今の形があるのだと教えられます。

 代替わりをして二年。まだまだ未熟者で、壁にぶつかることばかりです。しかし、炭鉱街で愛されたあの頃の「素朴な喜び」と、京山で学んだ「洗練された技」、そして円山の街に似合う「新しさ」。これらを自分なりに混ぜ合わせながら、米屋らしい一品をお届けしていきたいと思っています。

 祖父が菓子博に捧げたような熱い心意気を忘れず、青年部の仲間たちと一緒に、これからの菓子業界を少しでも明るく、ワクワクするものにしていければ幸せです。お菓子は人を笑顔にする力があると信じて。これからも、一つひとつ、丁寧にお菓子を拵えてまいります。

 北海道菓子工業組合青年部部長・佐々木博章(株式会社米屋)