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「菓子型・引札展」にて

明治~昭和のお宝に出会う

菓子型(左)と引札(右) 3・11大震災、津波被害で菓子製造小売店を営まれていた方々もあったはずです。心よりお見舞い申し上げます。和菓子の老舗には、菓子型の40、50はあったでしょうに、津波ですべて失くされたお店もあったでしょう。店主の残念無念さが分かります。

 この度、大阪は、梅田界隈の古書店「りーち、あーと」にて、「菓子型・引札展」がありました。大阪在菓子美術品収集の第一人者として著名な平田栄三郎さんが、獏大な収集品の一部を展示即売されるものでした。平成23年3月17日~29日

 菓子型については、他にも詳しく、また数多く収集されている方々を幾人も知っています。菓業人にとっては、それも使い古した菓子型、お役目を終えたような菓子型に、言い知れぬ郷愁を持つものです。毎日、明けても暮れても打ち物、金花糖を造り続けた職人さんの姿を彷彿と伺えるからでもあります。今回の展示品は菓子型では珍しい大正、昭和の時代を思い出させる海軍旗やカスマン(カステラ饅頭)、戎大黒の型、当時、無くてはならない鶴・亀を合せたものなど、興味津津の型などがあり、それにいつか手に入れたいと考えていた鯛の合せ型、感謝を込めて分けて頂くことにしました。自社の博物館に収める所存です。将来菓子博物館ができればの話ですが。同時に、韓国やアジアの菓子型、ヨーロッパの菓子型などが揃っており、コレクションの幅広さに感心したのでした。

 もう一方の展示品が「引札」です。勿論その存在については知ってはおりましたが、「ああ、昔のチラシか」程度の興味しかなく、今回の展示で、改めて明治、大正の「引札」に引きつけられました。これは多分高齢に至ったせいでしょうが、平田氏の解説に唸ったからでもありました。

 「引札」は、明治末期から大正にかけて流行した模様ですが、江戸時代に浮世絵摺りの手法で庶民に配られたものを原形としています。例の平賀源内が、マルチ人間ぶりを発揮して広告宣伝にも一役買ったようです。明和6年と言いますから230年前、えびすや兵助の依頼で歯磨き粉の宣伝を「引札」でしました。「トウザイトウザイ」で始まり、値段、効能を書いて、お引き立てのほど、よろしく云々、カチカチカチで終わる多色摺りの調子のよいものでした。それ以外でも「引札」史が出来ると登場するであろう人物は目を見張る多彩さです。式亭三馬、山東京伝、蜀山人、河竹黙阿弥、尾崎紅葉などが手を染めたようです。勿論イラスト入りです。明治の中頃までは、画家と商業デザイナーが分離しておらず、小説家とコピーライターも未分化であったわけです。これらの「引き札」が日本のどこかでまだ存在していて一同に会したら随分面白い展覧会になることでしょう。

 天和3年(1683年)江戸日本橋越後屋の開店に際して、「現金安売り、掛け値なし」が謳われた話は経営史で有名なことですが、それが多色摺りの「引札」だったことは重要です。「引札」の発行枚数では、上野松坂屋(呉服屋)が安政3年(1856年)9月に配布したのが5万5千枚というのですが、これは誇張でしょうが、これは例外としても、明治時代は「引札」が印刷技術の発達で盛んになりました。発行元の中心は大阪だった様子です。

 明治末期には日本の隅々まで行き渡たり、1千万枚が印刷されたとか。元々「引札」は宣伝で無料の「配り物」でしたから当時から捨てられる運命にあることは今も昔も変わりません。

 年末年始に商店からお客に配られるものですから、そのため「引札」のテーマは七福神、鯛、日の出、門松や、暦、時刻表、カレンダー、双六、判じ絵と言うのでしょうか、字の読めない人のために「商売ますます大繁盛」を絵で表現するなど、なかなか工夫がなされています。発行元はベースの図柄見本を造り、注文を取り、あらかじめスペースを用意しておいて各店がおのおのの宣伝文を書き込むという寸法でした。

 お菓子関連の「引札」も沢山出たようですが、砂糖、石油、荒もの、お菓子と、明治、大正の商店のありようが現代と違うようなので、これは研究の余地ありと思われます。

 興味を持って思わず分けて頂いた「引札」が数枚あります。明治末期の美人画入り「引札」です。その中に、203高地の髪型をした美人がバイオリンを弾いている図柄と、上のとんでもない扱い品の宣伝ですが、図柄は素晴らしく、惚れ惚れする美人が描かれています。これだとそうそうに捨てられず、壁に長らく貼られていたはずです。だとするとこの菓子商は宣伝に成功したと言えます。「暦入り引札」も獲得しました。何と明治45年版なのです。これでは用にならず、その横に大正元年が刷られています。この時は既に印刷です。

 その後、キリンやサントリーの垢ぬけた広告が出て、さしもの「引札」は大正中期から廃れてきたようですが、兵隊服を子供に着せた「引札」などが残っています。除々に新しい「ちらし」に座を譲っていったのです。

 ところでこの情緒ある「引札」に比べ、多色印刷の現在、技術はダントツに発達したものの、手元にある、「なんとか電気」のどきつい「ちらし」はどうでしょう。他店と1円でも安さを訴え買わせようとする「ちらし」、どさりとそのまま屑箱行きは当然ではないでしょうか。お菓子のパンフだけでも「現代引札」として後代に残せるものとしたいものです。

 大阪菓子工業組合副理事長・中島孝夫

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