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豆まきの由来

吉田神社節分祭で豆茶の接待とお菓子配布

歳徳神 毎年、吉田神社の節分祭に京都府菓子工業組合では、豆茶の接待とお菓子の配布を行っており、多くの参拝客に喜んでもらっています。

 昔は立春によって新しい年が始まると考えられ、旧年の穢(けが)れを払って新しい年の神を迎えるため、節分の行事として今も盛んに行われているのが豆撒(ま)きである。宮中では追儺(ついな)と呼ばれ、普通には鬼打ち、鬼遣(や)らいという。春を迎えるための呪(しゅ)で、鬼すなわち陰の気を駆除する。陰陽師が祭文(さいもん)をよんで疫鬼(えきき)を宮城の四隅からたたき出し、黄金四つ目の仮面をつけ、矛と盾をもった方相氏(ほうそうし)が疫鬼を撃ち王卿(おうけい)が続いて桃の弓と葦(あし)の矢で打ち払う。儺遣(なや)らふと叫んで走り回り、厄払いの意味で魔滅(まめ)にちなみ豆を撒く。古代中国に穀物には魔よけの効力があるという信仰がある。一粒の種が芽を出し多くの実りをもたらすことは不思議であり、そこには強烈な生命力がある。これを古代の人は霊力と考えた。中でも豆は繁殖力が強いので特に効力が大きいと考えられ、その後煎った大豆を撒くという形が定着して、年の数又はそれより一粒多く食べるとその年は病気や災難をのがれられるという。

 鰯を焼いて頭を串に刺し、柊の小枝と共に軒先に立てておくと悪鬼を退ける効果があるとされていた。悪鬼は鰯の臭気を嫌い、柊で目を刺されるのを恐れて近寄らないというまじないである。

 「福は内、鬼は外」というのが豆を撒く時の決まり文句になっているが「福は内、鬼は外、悪魔外」とか「福は内、鬼は外、富は内」などというところもある。鬼は今では悪鬼という意味に使われるが昔は必ずしもそうではなく、強いもののことを鬼といって、これは恐ろしい存在ではあるが、同時に家を守ってくれる場合もあったのである。

 歳徳(としとく)神は牛頭天王(ごずてんのう)の后。頗梨采女(はりさいじょ)とも櫛稲田姫(くしなだひめ)ともいう。この神は一歳中の万徳を主る神にて万事この方に向ってなす事は大吉にして福を得、禍を避けるという。今年の明の方(恵方)は丙(ひのえ)で南南東、巳と午の間である。

 京都府菓子工業組合IT情報委員会委員長・青山征史

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