より美味しい蒸し饅頭を目指して
丸須製菓
「配達のとき、バイクでさえ押して歩かなければならないほど温泉街はお客さんで賑わっていたぞ」と、丸須製菓創業者である父の昔話。昭和50年ころの水上温泉は農協や社員旅行などの団体バス客で大変な賑わいだった。古い帳票を見ると旅館等の取引先への配達量は現在とは桁違いだったことが良くわかる。
バブルが弾けて旅行の形態が変わり、売上の源泉だったバスの団体客が減り始めていった。小さな温泉地の経済環境の変化は、それまで旅館にどっぷりと依存していた当社にとっても危機的な事だった。
そんな折、平成11年ころ店舗前の道路拡張工事に伴い顧客用の駐車場も備えた国道沿いに移転ができることになった。これで日帰りのお客様向けの商売も可能と考え、旅館に依存した経営から店売り商品の開発と店頭販売に力を入れ、目の前のお客様に満足して頂く事に意識を集中させようと決意した。
しかし移転当初は、建築費などの移転費用を捻出することが精いっぱいで新しい設備も無く、自社製品と言えば創業から作り続けているサブレー風の瓦煎餅と人形焼風カステラ饅頭の2種類のみ。せっかくのお客様も温泉饅頭が無い、品揃えが少ないことで何も買わずに出てしまう事もしばしばだった。
数年後、包餡機や蒸し器などの設備を導入し、酒まんじゅう、温泉饅頭、田舎饅頭と商品を増やすにつれ、順調に売上と利益を伸ばすことができ、店売り中心に経営を転換したメリットをしばらくの間は感じていた。
しかし観光地といえどもお土産のトレンドには波があり、土産の代表格は徐々に温泉饅頭から洋風の新しい和菓子へと移り変わっていった。試作を重ね作り上げてきた饅頭たちがお客様の気を引かなくなってきたことに意気消沈。他店の繁盛とヒット商品を羨ましく思いながら日々を過ごしていた。
そんなある日、へこんだ私を奮い立たせる出来事が。それは観光客のこんなつぶやきを耳にしたことがきっかけだった。「いまどき温泉饅頭を土産に買う奴を哀れに思うよ」
哀れとは!全身の血が逆流するほど怒りとも悲しさともいえない気持ちを覚えた。これまで私たちの饅頭を御ひいきにして下さったお客様方を馬鹿にされているような気がした。この時は本当に悔しい気持ちで一杯になったが、それ以来おいしい蒸し饅頭の可能性はもっとある、お客様にもっと喜んで頂けるという信念を持つことができ、開発と試作に明け暮れる毎日を送った。もうへこんでなんかいられなくなっていた。
何年かの試行錯誤と多くの方々のサポートを経て、香りと食感の良い季節商品の「よもぎまんじゅう」の開発に成功。それに毎年改良を重ねることで得られた知識と経験から看板商品となる黒糖まんじゅう「仙ノ倉万太郎」を製品化し多くのお客様にご利用いただける店になった。
父から受け継いだこの店もまもなく創業50年を迎えようとしている。これからもこの小さな町と小さな店にはさまざまな転機が訪れるだろうが、今後は自店の繁盛だけでなく、地域の発展にも貢献できる店と経営者になれるよう努めていきたいと思う。
群馬県菓子工業組合水上支部長・沼尻好彦