各地の菓子店探訪
宮城県菓子店の投稿

“祈り”前進あるのみ

お嬢様の包装デザインと共に 

内海哲郎さんと榮子さん 宮城県北東部に位置する漁港で有名な気仙沼「㈲菓子舗うつみ」さんのお店にお伺いしました。観光客も少しずつ戻ってきているそうですが風景はまだまだ歯抜け状態、工事の車両がほこりを巻き上げ行き交う道路、水産関係も50%くらいしか稼動してない様子、何年先に復興完了しましたといえるのでしょうか。

 内海さんは東日本大震災で本支店(住居兼店舗等)の全財産を流され、菓子造りを止めようか迷った時もあったそうです。お父様がマニラで内海さん3歳の時戦死、いらいお母様のお導きに穏やかな人間性をうかがい知ることができます。宮城県菓子工業組合の副理事長として組合運営に惜しみないご尽力を注いで下さる責任感の強い人物であります。

 内海哲郎さんは菓子屋を昭和38年に開業、弱冠22歳のころ、始めは作ったお菓子を卸と委託販売にて軌道に乗るまで続けました。後に榮子奥様と結婚二人三脚で菓子製造に精魂を込め、昭和49年に店舗を構え小売へ方向転換し現在に至ります。

 震災直後は、奥様のご実家に20日くらいお世話になり、その間に記憶をたどってレシピを手帳にまとめながら、空き店舗や道具を集めたりゼロからの始まりで4ヶ月後に開店できました。昨年50周年を向かえ震災前の店舗数である2、3店舗目を今年の夏(平成26年7月)に、市内及び魚市場に開店することができました。皆さん(取引先関係者、従業員他)の、力をお借りし苦難を乗り越え何とかここまで来ました。

 本人いわく、商売に対して人脈と人材に恵まれ、そして信用が大事なんですねぇ。

 現在は、和菓子20種類、洋菓子20~30種類、パンは幼稚園、保育園などからの注文を受けて製造しており又店でも販売しております。焼き菓子で「ホヤボーヤ」のネーミングで気仙沼の観光土産品として宮城県産業功労県知事賞の一躍を担ったお菓子もあります。

 そして7月に被災地視察に天皇陛下と皇后陛下がおいでになりました。当店のお菓子をお召し上がり頂きました。大変光栄に存じます。これを糧に頑張ります。

新商品の包装 震災の時、お母様とお嬢様を亡くされました。それまでは、お嬢様が後継者となるべく内海社長から指導を受け、順調に進むはずでした。震災の2、3ヶ月前に、新しく機械など設備投資をしたそうです。そのときお嬢さんが新商品を社長に開発してほしいと頼み、商品は出来上がり包装についてデザインを検討していたところに東日本大震災にて尊い命を落されたとのこと、しばらくして秋田の知り合いの方が訪ねてこられ、何かお嬢さんがやり残した事があると思うんです。と言って帰られたそうです。その後何回も同じ絵の夢を見ているけど、と言って「母子のお地蔵様」の絵を届けて下さったそうです。

 内海社長と専務の榮子奥様が、その可愛いデザインを見せて下さいました。お嬢様は2人のお子さんを残して旅立ちましたので、私は目頭が熱くなりしばらく言葉が出ませんでした。

 デザイン会社の担当者は、この絵はデザインとして難しいので、そのままを使いますとおっしゃり包装紙が出来上がったそうです。

 一周忌の時に天国から「売らいんよ」(販売してね)と榮子お母様は話し掛けられたそうで、宣伝もせずに店頭に並べましたところ訪れた人、その人、その人の被災した思いを重ねているようで「中にはこの絵を見て癒されますぅー」と言って下さる方もいるそうです。

「母子地蔵」の絵と木彫りの置物 東京の在住のご住職が気仙沼に来たとき、お寺で出されたお茶菓子の「母子地蔵」の絵が目に留まり、木彫りの置物を作って送って下さり、現在ご来店下さるお客様に幸せをお分けしているようです。

 榮子奥様は、このお菓子は宣伝してないけどお客様が購入してくれます。とお話してくれました。

 内海さんご夫婦の人となりがしみじみと伝わってくる感無量の取材をさせて頂きました。

 宮城県菓子工業組合・佐藤あや子