イベント開催&レポート
山形県レポートの投稿

「のし梅の歴史」発刊

山形と梅との深い結びつき

のし梅の歴史

 このたび、のし梅の変遷を綴った「のし梅と戦争」(令和4年1月号の菓子工業新聞に詳しく掲載)に続く第二弾として「のし梅の歴史」という小冊子が発刊されました。著者は、乃し梅製造の第一人者、佐藤屋の会長、七代目佐藤松兵衛さん。社長を八代目佐藤慎太郎さんに譲り、看板商品である「乃し梅」について書き記した物です。

 山形の銘菓といえば、真っ先に挙げられるのは「のし梅」です。メーカーによって「乃し梅」と表記したり「のし梅」と表記したりしますが、「のし梅」の歴史は古く、江戸時代まで遡ります。

 そもそも、紅花の産地である山形は、梅との深い結びつきがあります。紅花染めの煤染剤・発色剤に「烏梅」という、梅の未熟な実を干して燻し、黒焦げにしたものが必要なため、梅の木の栽培も盛んだった事が想起されます。のし梅の原料である梅が容易に手に入り、現在の形になったのだと思います。

 以前、のし梅製法の秘訣を佐藤松兵衛さんにお聞きしたことがありますが、地元で採れた完熟梅を裏ごししたもの(梅肉)を一年位熟成させるのだそうです。熟成することにより酸味がまろやかになるとの事。佐藤屋さんでは一斗缶に入れて保存、熟成しています。その梅肉と錦玉液とを合わせて板状に流し固め、乾燥させたものを短冊状に切り分け、竹皮で挟みます。

 梅肉の仕込みの時期は夏場の大仕事。暑い盛りに人手も沢山必要で、重労働です。しかも、梅は酸が強いので道具もちゃんと手入れしなければすぐ駄目になります。床のコンクリートもすぐに傷むほどです。

 甘酸っぱい香りと食感に優れ、茶席菓子としてはもちろん、食材としての和食への応用にと、また最近ではフレンチにも使われているそうです。

 銀座三越が仕掛ける「本和菓衆」や、高島屋厳選の話題の菓子集団「ワカタク」で活躍している佐藤屋八代目、佐藤慎太郎社長の「和菓子をもっと自由に」の信条の元、生チョコレートにのし梅を載せた「玉響(たまゆら)」や「のし梅かき氷」等も登場し、二百年も続く老舗の菓子屋ながら、積極的に新商品を開発し、盛業しています。

 著書「のし梅の歴史」に関する問い合わせ先
電話023―641―2702 乃し梅本舗佐藤屋 佐藤松兵衛さん

 山形県菓子工業組合副理事長・戸田正宏