各地の菓子店探訪
福島県菓子店の投稿

有限会社 熊野屋

会津の特色ある素朴な味

熊野屋

 福島県会津若松市で和菓子屋を営んでいる有限会社熊野屋です。創業は明治20年、初代齋藤平三郎により創業されました。

 会津の菓子屋の歴史は、天正19年(1591年)に遡ります。千利休が豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。それにより利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の城主「蒲生氏郷」は、利休の子小庵(しょうあん)を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願いでたのです。その後、小庵は許され京都に帰って千家を再興し、現在の茶道へと伝えられています。

鯉と鶴・亀の生菓子

 鶴ヶ城内にあった千家ゆかりの茶室「麟閣」は戊辰戦争後、城下に移築され保存されていましたが、平成になって元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。この時に「麟閣」から当時の殿上菓子の文献がみつかりました。内容は菓子の他に料理も含まれ、イラスト等はなく文面での説明のみでしたが、数年前の鶴ヶ城大茶会に於いて会津若松菓子工業組合のメンバーが復元した菓子を供した事がありました。

 明治38年4月発行の「若松市名鑑」商業之部の「菓子営商」には当時の御菓子屋さんが載っていて、市内では57店の名が並んでいます。これによっても当時の菓子商の繁栄ぶりがよくわかります。

薯蕷饅頭

 このうち小国屋菓子店が最も古く、江戸時代後期から明治にかけて一口饅頭が大変繁盛していました。弊社の初代、齋藤平三郎も小国屋で丁稚奉公して暖簾分けしたと聞いています。

 饅頭は甘酒の搾り汁を加えた「酒饅頭」山芋の膨張作用を応用した「薯蕷饅頭」で、冠婚葬祭には必ず付き物でした。戦争中の食糧難の時でも饅頭だけは口にすることができ、砂糖のない戦争中でも塩餡の饅頭でしたが、人々は好んで食べていました。戦後には統制だった砂糖が多く出回るようになり、菓子業界も大いに盛んになりました。

 しかし、戦後の進駐軍の影響からか、パンや洋菓子が大いにもてはやされ、餡からバターへと菓子の世界も移っていった時期でもありますが、饅頭は葬式の引き出物などにされ、人々の舌を潤わせていました。また、在村では、この頃から饅頭に小麦粉の衣をつけて揚げ、天ぷらにして食べるという風習が会津の各地で行われ、現在でもそれを好む観光客にもその素朴さは好評を得ています。

 そんな饅頭が、人々の贅沢な嗜好により、量より質の時代へと特徴を出してくるようになり、会津の各地では様々な名物饅頭が登場するようになりました。このような会津の特色ある素朴な菓子の味をいつまでも後世に伝えていきたいものです。

 福島県菓子工業組合・有限会社熊野屋・斎藤恒一