時代を超えて愛される名物餅菓子
田辺市 辻の餅「おけし餅」

田辺市は海青く山青き町である。目の前に太平洋、背後に熊野の山並みが広がる。
近年は世界遺産熊野観光の玄関口として観光客の増加が目立つ。人口約6万人、紀南地方の中心都市で江戸時代は紀州徳川家、家老安藤氏の3万8千石の城下町として繁栄した。
この町の中心地、栄町通りの北新町のまち角(辻)に店を構えるのが、天保年間(1830~43)創業と伝わる辻の餅である。古風な雰囲気が漂うこの店の名物がおけし餅である。

直径5センチほどの平たく伸ばした丸餅の表と裏につぶ餡を少しずつつけただけのシンプルな餅菓子である。創業者の「おひろさん」という女性が、地元の真言宗寺院の高山寺の参詣客に出来たての餅を売り出したのが始まりという。「おけし餅」という名前は、江戸時代の男児の髪形の頭頂部に丸い髪を残してまわりを剃った姿に似ていると、客の間で評判になって広まったといわれ、この餅が代々受け継がれて約200年になろうとしている。
今日、この餅を作るのは5代目青木明さん、笑顔がやさしい人である。青木さんがこだわる杵搗き餅はよく伸びて柔らかく、塩を加えた甘い餡こと相俟って辻の餅ならではの餅を作り出す。シンプルさを追求した先に生まれる美味がある。まさに「シンプルイズデリシャス」である。季節を問わず4種類の餅菓子があるこの店の代表銘菓がおけし餅なのだ。200年の歴史がもたらす伝統ですかと言ったら、妻の紀美代さんいまが一番美味しいと話す、原材料の選択も時代や気候で変わる。伝統に甘えない菓子作りは、不断の職人の努力を教えてくれる。贈答品、家族の団らんに時代を超えて愛される餅菓子。死期を控えた市民が「最後に食べたい」菓子と言った。
記事投稿‥紀州の和菓子と文化を考える会代表
鈴木裕範・和歌山大学客員教授
発信人‥和歌山県菓子工業組合事務局長・高橋義明