各地の菓子店探訪
和歌山県菓子店の投稿

亥の子と亥の子餅

和歌山市 御菓子司鶴屋忠彦

亥の子餅

 亥の子は、旧暦10月の最初の亥の日、現在は11月の第一亥の日に行われる年中行事である。

 亥の子祝い、亥の子まつりともいう。起源は平安時代で、中国から伝来して時代、地域各階層の人々によって主に西日本、近畿、瀬戸内沿岸の地域を中心に広まった。

 十二支の12番目の動物は、多産であることから五穀豊穣をもたらす農耕の神として、また火伏せの神の使いの存在として火事など災難からまぬがれると信じられるようになる。その結果、古くは火鉢や炬燵など冬支度をする日になり、茶の湯では炉開きの日になっていて、和菓子屋は季節の和菓子としてイノシシに見立てた亥の子餅を作る。俳句では、亥の子は初冬の季語になっている。

 亥の子餅 いづこの神か 知らねども

 長谷川 櫂

 和歌山市十番丁、目の前に和歌山城がある鶴屋忠彦では例年、亥の日が近づくと亥の子餅作りを始める。この店は創業が昭和25年、茶席を飾る菓子で知られる名店である。江戸時代に茶道表千家家元が代々紀州徳川家の御茶道を務め、茶の湯文化が花開いた紀州和歌山の歴史を語るように、上質で美味しい四季折々の上生菓子で、茶人をはじめ市民を和ませている。

 この店の亥の子餅は、ウリ坊に見立てた体長5センチほど(重さ48から50グラム)の小振りな餅菓子で、小豆に黒ごまを混ぜたごま餡を外郎生地で包んでいる。そして、こし餡を溶かせこませた外郎が紫色を帯びた美しい色彩を浮かび上がらせる。筆者の山の上の仕事場の中庭には新緑の季節にウリ坊が姿を見せ走り回ったりしていたが、幼きものに特有の愛らしさ、美しさがあり、菓子の「すっきりした姿」はそのウリ坊に通じる。焼印などで強調した三筋の縞模様があるわけでも茶を帯びた肌色とは異なり、背中の軽い隆起は「中指と親指でつまんで立ち上げる」と2代目当主神田隆司さんは話す。

鶴屋 神田隆司社長

 「餅はクロモジで切れる固さ(柔らかさ)に」。餡子は黒ごまの微妙な香りがアクセントの口溶けの良い甘さなのがうれしい。抽象的でありながら感じるリアリティ、鶴屋忠彦の亥の子餅はスタイリッシュだ。年月を重ねることで育まれる職人たちの技がある。四季折々を映し出し情趣を伝える上生菓子は、亥の子餅が終わると、冬景色に変わっていく。

 ところで、日本の伝統行事、年中行事をとり巻く環境は厳しい。地方の衰退、社会構造の変化がもたらす危うさのなかにある。亥の子餅をはじめとする行事餅、行事菓子のある生活の未来はどうなるか、気に懸かる令和6年亥の子餅の季節ではある。

 記事投稿:紀州の和菓子と文化を考える会・代表・鈴木裕範和歌山大学客員教授

 和歌山県菓子工業組合事務局長・高橋義明