お客様に愛されるブランドへ
「大江戸」
「大江戸」は、駅で売られている土産菓子の草分け的ブランドでした。妻の祖父は、1948(昭和23)年に国鉄を辞め、今でいう駅ナカや車内の販売向けにキャラメル等を卸す商いを開始。1952年には、製菓会社を設立し、豆菓子や金平糖をつくり、仕入れたカルメ焼きやおこし等を詰め合わせた「大江戸駄菓子」を販売。これが東京土産の製造を中心に、一時は珍味や雑貨等も扱い事業を拡げました。
70年代には、サービスエリアや空港、都内劇場へも販路を拡大。また、堅い土産菓子が多かった中、やわらかな生菓子「大江戸きんつば」を販売するとこれが大ヒット。90年代には、東京駅や上野駅で常にベスト5に入る人気東京土産となりました。しかし、十数年前、「大江戸」は、廃業の危機に瀕していました。かつては支店も拡げ手づくりを売りに70名近く従業員を抱えていましたが、90年代以降、次々と登場する競合の土産菓子に押され、売上が低迷する中、経営の合理化に踏み切れず、負債が膨らんでいったといいます。妻が小さくても「大江戸」を残したいとの思いから、2009年に両親と3人で再建を決意。当時私は広告会社で働いていましたが、夜中に発送の手伝いをしに行くこともありました。結婚を機に入社して共に再建に努めました。菓子業界のことは右も左もわからず、はじめは会長と取引先や問屋の挨拶回りから始め、徐々に新規の注文や従業員を増やし、大口注文を機に機械を導入したことで、体制が安定し、先が見え始めました。
機械で作っても手作業で作るお菓子より美味しくなるようにとにかく素材にこだわり、製法も材料もより良いものに変化させ、機械で製造できるギリギリの配合や製造方法の研究を重ねました。コロナ禍には、「伝統から革新へ」をテーマに新ブランド「OOEDO TOKYO」を立ち上げました。第一弾の「クレームドラレーヌ」では、豆乳クリームとあんこの他、クーベルチュールチョコレートなどの高級素材も取り入れ、和菓子に洋の要素を加えたプレミアム感のある和洋スイーツを展開しています。既存のきんつば、どら焼き、人形焼のラインで進化させた和洋スイーツを作ることで新しい取引先や今までとは違った若い層のお客様も増えてきました。ありがたいことに多忙になってきましたが、売上だけでなく利益管理と働きやすい環境を整えながら少しでも長く続けていけたらと考えています。
今はお客様からの美味しかったからまた買いにきましたの声がモチベーションで毎日新しいお菓子作りのアイデアと試作するのが楽しいです。今後も贈り物には「大江戸」のお菓子が欠かせないと言われるようなブランドに育てていきたいと思っています。
東京都菓子工業組合・福田光伸