各地の菓子店探訪
大分県菓子店の投稿

地域の魅力を伝えるために

甘味処禅海茶屋

耶馬渓名菓こいこがれてセット

1、創業について

 ご当地「耶馬渓」はまだ観光地として整備されておらず、初代(祖父)は戦後の現在の店舗周辺で製材所を営んでいました。その後、1950年(昭和25年)に地域は「耶馬日田英彦山国定公園」に指定され、観光発展への声が高まりはじめました。そんな中、製材所前で釣り人がしていた焚火が製材所の木くずに引火してしまい、大きな火災となりました。また同じ頃、製材所で働いていた父が作業中に大事故にあい、生死をさまよう時期がありました。これらの事から、祖父はこの地より製材所を移転し、代わりに観光業を父に任せようと、レストハウス洞門という施設を作ったことが、今のお店(観光業)の始まりとなります。

 祖父と父は地域全体を観光として盛り上げたいと、「やすらぎ処青の洞門」や「禅海茶屋」、「くつろぎのロッヂ耶馬小屋」とOPENさせ、大型店舗となっていた施設「レストハウス洞門」は、開店当初より多くの観光客を受け入れており、昼食会場としては県内最大級となり、多い日は一度に3000名以上の昼食を対応していました。

甘味処禅海茶屋

(その後~帰郷するまで)

 そんな中、私が中学生の頃に父を急病で失い、その翌年には祖父も急死してしまいました。その後は、祖母と母がお店を切り盛りしてくれていましたが、私は外の景色を見てみたいと大学から地元を離れ、東京にて就職をしました。イベント業に務めていた私でしたが、地域を盛り上げたいと29歳の春に帰郷し、お店の手伝いを始めました。

2、 現在取り組んでいること

 年々、観光業および旅行スタイルが変化しており、私が帰郷した頃には経営がとても厳しく、将来に不安を感じていました。規模は小さいながらもイベント等を継続的に実施して盛り上げようと試みましたが、大きな解決にはなりませんでした。

店内

 そんな中、2020年(令和2年)に入って新型コロナウイルス感染症が拡大し、観光業を行っている当店には大打撃でした。雇用を含めて、経営が困難となり、将来的に更なる不安を感じた私は、同年12月に大型店舗「レストハウス洞門」を閉店し、自然災害や感染症などの外的要因の影響を受けても、リスクを出来るだけ抑えれる店にしようと考えました。

 そこで、2019年(令和元年)軽減税率制度からはじまり、2020年(令和2年)レジ袋有料化、2023年(令和5年)インボイス制度、今年の定額減税などの事務的作業が増える中、事務的作業を効率化できるシステムを導入し、お店の規模は維持しつつも、キャッシュレス化はもちろん、自動精算機やセリフレジ、自動販売機を積極的に導入し、雇用対策を考えました。現在は、食事処および士産処のお会計、充実したTAKEOUT商品の提供も私一人で対応できる様にオペレーションを始め、お客様の動線作りに取り組んでいます。

3、2度の水害被害を受けて、どう立て直したか? メンタル的にもどうだったのか?

青の洞門

 実は、1993年(平成5年)戦後最大級と言われていた台風13号の甚大の被害を受けた後も、1999年、2004年、2006年、2007年と被害は続き、2012年(平成24年)九州北部豪雨では7月3日、14日と約10日間で2回も甚大な被害を受けてしまいました。その後も2017年、2018年と続きましたが、昨年2023年7月に発生した線状降水帯で2メートル程浸水してしまいました。しかし、地域魅力を多くの人に知ってもらいたいと観光業を営んでいる私は、災害が起きてもいつも故郷のイメージが悪くならない様にと心がけています。その為、風評被害を無くすための一番の策は、お店を出来るだけ早く再開し、元気でやっている事を見せる事だと思っています。もちろん、被害がある時は悔しいですし、復旧作業中もつらいですが、この故郷に「ずっと住み続けたい」「この町で店を続けたい」「地域の魅力を知って欲しい」という気持ちが今の私を支えているのだと思います。そして何よりも、私の子供達が誇れる故郷にしたいと思っています。もちろん、地域の方や関係者の方々のご理解とご協力があって、本日も営業出来ています。いつも感謝しています。

4、今後の展望、もしくは目標

 今年で創業65年目を迎えます。創業100年を目指し、持続可能な店づくりに努め、地域の付加価値(新しい魅力)となる様に頑張ります。

 耶馬渓観光開発株式会社・甘味処禅海茶屋・古園智大

 全菓連青年部九州ブロック長・伊藤頼信