第22回全菓連青年部中・四国ブロック島根大会
松江城を囲むお堀をめぐる堀川遊覧船乗船
第22回全国菓子工業組合連合会青年部中・四国ブロック島根大会は、7月11~12日、松江市・松江エクセルホテル東急で開催され、約60名が参加した。全菓連からは、小谷副理事長、竹本青年部長、全菓連事務局が参加した。
大会に先立ち、中・四国ブロック青年部代表者会議と第14回全国和菓子甲子園の中・四国ブロック予選を行い、決勝戦出場作品が決定された。大会では物故者黙祷、開会の辞、青年部綱領唱和の後、小谷中・四国ブロック長より「今日明日2日間、中・四国ブロック大会で皆様と楽しい時を過ごしたいと思います」と挨拶の後、島根県菓子工業組合青年部岡会長より「2020年から新型コロナウイルスにより菓子業界も残念な影響を受けてきました。また、原材料価格や電気代の高騰などで多大なる課題が残っています。その中で青年部のメンバーが集まり一致団結して課題に取り組んでいければよいなと思います。この大会がより一層団結を深めるための良い機会と思います」と歓迎の挨拶、全菓連小谷副理事長の祝辞があった。次に、全菓連青年部竹本部長より「全菓連青年部としまして、今年第14回となります、全国和菓子甲子園を初めて東京で開催をいたします。高校生が和菓子を知って好きになり、進路や就職先を菓子業界に向けてもらい、業界発展につなげ、消費者も増やすことを目的として始まった大会です。より多くの高校生に知って参加できるチャンスを増やすために、東京開催を決定しました。課題は出てくると思いますが、全力で取り組んでまいります」と挨拶の後、島根県菓子工業組合林理事長の祝辞があった。次に、来賓紹介、主催者役員紹介、各県参加者紹介、第14回全国和菓子甲子園中・四国ブロック代表作品発表、次年度ブロック大会開催県挨拶の後、閉会となった。記念講演会では、土江徹氏によるカメラ入門(以後掲載)が行われ、記念撮影後、会場を変えて懇親会が行われた。
翌日のエクスカーションは、国宝松江城を囲む約3・7㎞の堀をめぐる堀川遊覧船に乗船した。堀川遊覧船は、屋根付きの小さい船で靴を脱いで乗船し、船頭によるガイドがある。船頭により、歴史や自然の得意分野があり、民謡を歌う方もいる。堀には17の橋があり、場所によっては、幅ギリギリのところや、屋根を下げて通るところもある。
船頭による説明
〇四十間堀川
築城当時は四十間(約80メートル弱)の幅があった。四十間堀川からは内堀に入る。
〇稲荷橋
日本三大船神事の一つである、ホーランエンヤを執り行われる城山稲荷神社がある。ホーランエンヤは、大橋川で10年に一度行われる式年行事となっている。
〇椿谷
松江城の西側に椿谷がある。ヤブ椿の群生地として有名で、江戸時代には椿の実からとれる油を整髪料や食用、刀のさび止めなどに活用していた。
〇亀田橋
現代になって架けられた橋だが、景色になじむような昔風の作りになっている。亀田橋を通り過ぎると、木々が生い茂り緑のトンネルになっている。石垣の代わりに積まれた土塁がはっきりわかる舟着き門跡が残っている。
〇三の丸
三の丸に御殿がありお殿様が生活していた。江戸時代は、若殿御殿、薬草園、釣りができる池、乗馬が楽しめる馬場、弓の練習ができるお的場、鷹狩ができる場所があった。
〇うべや橋、甲部橋、新米子橋、普門院橋
遊覧船の屋根を下げて通る橋は4か所ある。乗客・船頭ともに頭を下げなくてはならない。これらの橋の手前には、ピンク色のブイが設置されており、屋根を下げる場所を示している。普門院橋が堀川遊覧では一番低い橋である。
〇京橋川
外堀で、江戸時代には川沿いに家老屋敷が並んでいた。片原町には紺屋(染物屋)が軒を連ねていて、昭和30年くらいまでは、染物を京橋川で洗っていた。京店商店街は老舗のお店が並ぶ街になっている。また、石段が残っており、昭和初期までは、水際まで降りて米、野菜、食器などの洗い場となっていた。
〇松江城
堀尾吉晴が5年の歳月をかけて築城した。明治になり廃城令が出て解体される予定だったが、地元の有志の尽力により天守だけは解体を免れ、現存12天守の一つになった。現存12天守は、築城当時の形をそのままに残している天守のことである。その中で松江城の高さは3番目、床面積は2番目である。また、戦に備えて天守の地下に井戸がある。2015年に祈祷札が発見され、築城の年代が確定したため国宝に指定された。
〇塩見縄手
縄手は縄のように細くてまっすぐな道という意味である。江戸時代、武家屋敷に塩見小平という侍が住んでいて、松江藩の中では異例の出世を遂げた。その塩見から塩見縄手と呼ぶようになった。日本の道100選に選ばれている。小泉八雲の銅像がある。