各地の菓子店探訪
栃木県菓子店の投稿

大正天皇献上 湯沢屋

酒饅頭の可能性

 「日光を見ずして、結構という無かれ」そんな日光の門前に湯沢屋が創業したのは今から220年前。看板商品は、220歳の天然酵母と自家製糀そして仕込樽に潜む乳酸菌の三者の醗酵により造られる唯一無二の酒饅頭である。世界遺産「日光の社寺」の御用を賜り、日光という土地柄多くの著名人に愛されてきた。特にお忍びではあるが大正天皇に行幸賜った歴史も有する。

酒饅頭

 そんな酒饅頭だが、製造の翌日には皮が固くなるという欠点がある。固くなった酒饅頭は、蒸す・焼く・揚げる等温めれば美味しく食べられるのだが、簡単・便利が横行する現代では、中々その手間を掛けてはくれない。地方のご多分に漏れず過疎化が加速している日光では、やはり観光客の需要に頼らざるを得ない上土産と言う風習が薄れつつある中、ただでさえ日持ちがしないと言う要因はかなり辛いものがある。また食べ歩きという観光スタイルが増えてくると、来店者数は多いが一人一個という購買数になり客単価が上がらない。老舗と言う事で広告なんて全く必要無かった時代を長く過ごしてしまった今、SNS全盛の波に押されっぱなしである。

 客単価を上げなくてはならない。そこでまず打った手が、店の傍らに客席を設け酒饅頭とお茶のセット販売である。何となく手応えを感じていると思いがけず隣接地が手に入ったので、そこに縁台に毛氈を敷いた席を設け茶屋風な店を造る。店が日光駅と社寺の中間点に在るので、歩いて行き来する参詣者で賑わった。次に直ぐ固くなりお土産に向かない酒饅頭の改造版を造る。流石に無添加というわけには行かなかったが、そこに黒糖・抹茶・栃木県産ブランド苺をそれぞれ加えプレーンも含めた四色酒饅を販売する。日光の社寺が四神に守護された風水学的に最高の立地である事をモチーフにした。脱酸素剤を入れ日持ちも良くなった。

湯沢屋

 東京で和菓子の修行をしていた息子が帰って来て菓子のバリエーションが更に増したが、息子には、ウチはあくまでも酒饅頭屋だと言うことを肝に銘じさせた。丁度コロナ禍時に道路拡張に伴う店舗全面改築工事があり、天然酵母の維持管理に細心の注意をはらい無事竣工出来た。同時に店舗裏にあった明治大正期の石蔵四棟の内二棟をリノベーションし、地名を取った「鉢石カフェ」をオープンさせる。店舗脇にあった茶店よりも付加価値が上がり、客単価も高く取れるようになった。メニューの中には蒸し立ての酒饅頭の他に、焼酒饅・酒饅汁粉などのアレンジも加え、酒饅頭のポテンシャルを上げている。最近息子が220歳の天然酵母でパンを焼いてしまった。自家製餡を挟む事により独特の酸味と甘さが良い塩梅になっている。

 時代は先行きが見えず厳しい局面が続いているが、先祖が残して来てくれたもの、そして後継の道に進んでくれている息子、過去・現在・未来が束になって掛かっていけば、越えられない局面はないはずである。

 栃木県菓子工業組合日光支部長・髙村英幸(創業文化元年湯沢屋七代目)