水月堂提匠庵
久留米銘菓をさがして

西鉄久留米駅のすぐ裏に、水月堂提匠庵があります。創業はなんと明治12年(1879年)、今年で146年になる老舗です。5代目の店主江頭昭一さんはおとなしくて控えめな方です。店内には珍しい名前のついたお菓子が並んでいました。
若いころ、福岡市内にあった亀屋延永という和菓子店で約5年間修業に出向き、羊羹・焼き菓子・落雁・寒氷などを習得して、久留米の店を引き継がれました。そこでお世話になった師匠が万葉集・古今和歌集をもとに和菓子作りが有名でした。

水月堂の銘菓に「塩屋の娘」というお菓子があります。麩焼きせんべいに黒糖入りの餡を求肥で包んで挟んだものです。廃藩置県(1871年以降)のころ、久留米に「塩屋」という名前の旅館があり、東京から出張に来た多くの官使が宿泊所として利用していました。店主は彼らをもてなすために、地元で有名な美女を雇い、旅館で働かせたところとても喜ばれ、なかでも「おだいさん」という女性が人気になり、東京に戻っても彼女のことを懐かしみ「塩屋の娘節」という歌にして、東京の芸者さんの間で流行し、この歌が東京から久留米に逆輸入され、銘菓「塩屋の娘」が作られたのだといいます。美人のおだいさんは米ぬかと黒糖で洗顔していたので、饅頭の味付けには黒砂糖が使われています。麩焼き菓子にもう一つ、煎餅の表面に生姜砂糖や砂糖醤油を塗った「いおり煎餅」はあっさりしたものです。
「しそ琴」包み紙に穂紫蘇の絵と草書で菓子名が書かれており、はじめは全く読めませんでした。大納言小豆入りの柔らかい羊羹に和三盆と白砂糖がまぶされています。ですが、紫蘇の味はしません。聞くところによると、紫蘇入りをお出ししたところ、お客さんより「ないほうがおいしい」と多くの感想を受けて、いつの間にか紫蘇味はなくなり、絵柄と名前だけ残っているそうです。
最後に店主の悩みとして、少しずつ昔からの国産の材料が減りつつあります。外国産、新素材の材料で昔の味に近いものに近づけるには苦労があるそうです。それでも、昔の味を守るため、店主は今日も求肥を練ります。いつまでもこの味が続きますように。
福岡県菓子工業組合事務局・村上豊美