各地の菓子店探訪
和歌山県菓子店の投稿

和菓子が語る和歌山物語不老餅

和歌山市堀止西 伝承紀風銘菓 「歌屋」

田川晋朗さん・千真理さん夫婦

 大きな墨字で不老餅の文字の赤い幟が、店の玄関前に立つ。ただいま製造販売中のご案内である。買い求めたお客に奥さんの千真理さんが笑顔で念押しする一言がある。「不老餅は決して傾けたりしないで、平らにしてお持ちください」。理由は、この餅菓子、とにかく柔らかいのだ。

 歌屋は創業が昭和25(1950)年4月、75年の歴史を刻む和菓子屋。現当主田川晋朗さん(55歳)は3代目、奥さんの千真理さんと夫婦で経営する。

 この店を特徴づけるのが、江戸時代の紀州和歌山を語る6種類のお菓子。自家製の餡を葛で包みミジンコをつけて平らにし最中種ではさんだ「五十五万石」、葵の紋を刻印した焼饅頭「大納言」は、直径が20㎝もある大型。「二の丸」は和歌山城を語る焼き饅頭、年間20万人以上が登城する和歌山城は市民の自慢だ。どら焼きの「ごんげんさん」、「玉津島」はブッセ。そして「不老餅」である。

不老餅

 不老餅は、創業以来作り続けている、薄く伸ばした餅粉で濾し餡を包んだ長さ8㎝の細長い餅菓子。クロモジで切る、するとなかの餡が、とろり~んと現れる。餡はさらりとした甘さ、まぶした黄粉が香ばしい。とろり~んとした餡と柔らかさの理由は、漉し餡の水分を通常の菓子より多めに仕上げていること。歌屋では「餡は一週間に4回炊くが、一番手間がかかるのが不老餅。「餡の柔らかさを見ながら炊き上げるタイミングは経験」と田川さん。柔らかさが命のお菓子ですが、かといって伸びすぎてしまってはダメ。「これは機械ではできません。人の手で素早く要領よく作業をすることが肝心」。従って歌屋では不老餅を作る日は、朝が通常より1時間半以上早く始まり、奥さんと2代目の父親がチームを作る。不老餅は、職人の経験と熟練の技術が支える。こだわりがいくつも詰まっている、黄粉も香ばしい黒須黄粉を使用する。美味しさは究極菓子と向き合う職人の姿勢にある。

不老餅断面

 ところで、菓子銘の「不老餅」は、万葉の故地和歌の浦のシンボル不老橋にちなむ。市町川が海に流れ込むところに架かるアーチ形の石組の橋で、江戸時代後期に10代藩主徳川治宝の命で「老いざる橋を造るなり」の願いのもと築造された。不老餅は「不老長寿」の縁起の良い命名と味の良さで、創業から75年のロングセラーとなっている。

 田川さんは、和菓子職人の仕事の魅力は、「美味しいよ、と言って喜んでくれるお客さんの言葉」だという。「それが仕事の誇り、自信になる」。奥さんが「おじいさんから孫と、3代にわたりひいきにしてくれるお客さんが何人もいます」と話す。「うれしいね」と夫婦は顔を見合わせた。田川さんが菓子職人の道に入るのは24歳の時、遠回りをしてだった。"丁稚奉公"先の老舗で言われた。「手が動くかな」。手仕事を身に付けるため、人知れずゴルフボールを握るなど手先の訓練をした日々があった。田川さんは努力のあとを見せない人でもある、その人柄が好きだという人がいる。

 不老餅は1個からでも購入できる。販売は暑い夏(6月から8月は休み)を除いて秋から春まで9か月。常連客は赤い幟が立つ日を待ちわびる。和菓子を通して語り伝えたい和歌山の歴史文化がある。「市民に愛され、県外の人が紀州のお土産にと選んでくれる菓子を作り続けたい」田川さんは言葉に力をこめた。

記事投稿:紀州の和菓子と文化を考える会代表・鈴木裕範和歌山大学客員教授

 発信人:和歌山県菓子工業組合事務局長・高橋義明