各地の菓子店探訪
徳島県菓子店の投稿

岡萬本舗

地域と共に―か津らふぢ餅―

か津らふぢ餅 地域に根ざして、100年。現在4代目となる岡萬本舗は、徳島県内有数の藤の名所として知られる、地福寺の門前町にある。地福寺の藤の歴史は古く、約250年前に遡る。旅行が比較的しやすい明治時代になると、各地からこの寺の藤の花を愛でに人々が集まった。そんな花見客のもう一つの楽しみが、「ふぢ餅」だった。お土産品などが無い当時、その地でしか食べられないふぢ餅に、舌鼓を打つ観光客の姿は、想像に難くない。地福寺の門前に、数店の屋台が軒をつらね、各店の自慢の味を販売していた。その内の一人が、岡田萬吉氏だ。彼は、岡萬本舗の始祖である。「地福寺の藤の花あってのふぢ餅」と感謝したことだろう。彼は、地福寺の藤を無償で世話をするようになった。その後、お寺と岡萬本舗の関係は、藤を介して代々続いている。まさに盟友の様な関係ではないだろうか。初代がお世話を買って出て、2代目が戦災で伐採された藤を復興。そして4代目が地元商工会と協力し、地域全体で取り組む「藤まつり」へと発展させた。

 一口に「ふぢ餅」と言っても、当然お店によって味も製法も違う。岡萬本舗では創業以来「地産地消」にこだわり、できるだけ徳島産の原材料を使用するように心がけている。

 製造開始当時は、徳島を代表する柑橘類といえば「柚」であった。地元で採れた新鮮な柚を、白餡に練り込みさっぱりと上品な甘さに仕上げている。そして、砂糖だ。1800年代前半より、徳島藩では和三盆糖の生産に力を入れてきた。その「阿波和三盆糖」を生地と餡に使用しているのだ。岡萬本舗では、上白糖などの安価な砂糖が手に入る現代でも、変わらないこだわりとして、守られている。

 岡萬本舗のこだわりについて、4代目の岡田社長にお話を伺った。

 4代目社長のこだわりは、地産地消だけに止まらない。元来、研究熱心である社長は、消費者の動向にも敏感だ。そんな社長がいま、精力的に取り組んでいることがある。それは、「食の安全安心の追求」と「地域を大切にすること」だ。

 その姿勢は、代々受け継がれてきた銘菓であっても、「良い」と思ったものは、躊躇無く取り入れる。「か津らふぢ餅」の魅力の一つは、藤の花のあの暖かみのある紫色を忠実に再現されているところだ。製造を始めた当初は着色料を使用していた。しかし、岡田社長が4代目に就任し、試行錯誤の結果鹿児島県産紫芋を使用することに辿りついた。

 また、地域を大切にすることも常に念頭に置いている。「商売をして儲けたら、自分だけが利益を受け取るのではなく、自分と買い手と地域が利益を分けあって、その商売が地域社会全体の利益になることを目標にする。すなわち「三方よし」の精神を大切にしているんですよ」。

 その言葉を具現化したのが「焼豆饅頭」だ。徳島県内の棚田を遣い、こだわりの農法を用いることで、農産物に付加価値を付けている農業者に目をつけた。そこで採れた、安心で安全な食材を原材料とし、「焼豆饅頭」を開発した。地域を大切にする岡萬代々の心意気と、常にお客様を飽きさせない洞察力が、新しい商品として結実した例だ。

 「僕はね、最初からダメだと決めつけるのは、失格と思うんよ。新しいことに挑戦するとき、精一杯やってみたらうまくいくかもしれんでしょ」。

 アイディアマンであり、常に挑戦者たる姿勢を崩さない、岡田社長らしい一言だ。

 岡田社長の座右の銘は「知恩、感恩、報恩、感謝」である。そしてこれを彼は「自然の法則」と呼ぶ。その意味を伺ってみて、目から鱗が落ちる思いがした。「人というのは、まず恩を受けた事を知り、そしてそれを感じる。その上で、その恩に報いる。それが感謝であり、その思いを持ち続けることで、人との繋がりやビジネスチャンスが拡がっていく」という。感嘆しきりで伺っていると、人から教えてもらっただけだからねと謙虚さも忘れない。

 最後に、ふぢ餅の夏の食べ方を訊いてみた。

 「今は夏で暑いでしょ?ふぢ餅も、いつも同じ食べ方より、夏は冷凍庫で1時間くらい、冷やしてから食べるとうまいんよ」と岡田社長。

 まだまだ夏はこれから。今年の夏は、ひんやり冷やした「ふぢ餅」で涼を感じてみたい。

 徳島県菓子工業組合事務局・塩田麻百子